第8話 心の奥底









 カリカリカリカリカリ……

 部屋の中に響く、5つの小さな物音。

 その全ての動きはバラバラで、時折唐突に動きを止めたかと思うとまた突然動き出したりもする。

「うーん……」

 目の前に広げられた教科書とノート。

 その2つを交互に見ながら――どっちかって言うと、睨み付けてるって言った方が正確かもしれない――相沢君が小さく唸り声を上げた。

 そんな彼の正面に座ることになったわたしも、やっぱり似たような状況なんだけどね。日頃からあんまり勉強するタイプじゃないし……いやまあ受験生なのは分かってるんだけど。

 結局のところ、今日集まった「美坂チームあるふぁばい北川」の中で順調にシャーペンを動かすことができてるのは、せいぜい学年主席の美坂さんくらいなものじゃないかなー、とか思ったり。

 水瀬さんも四苦八苦しながら頑張ってるみたいだけどね。時々美坂さんに訊いたりしながら。

 や、彼女がわたしたちの家庭教師みたいになってるのは何だかもー当然の流れのような感じで。相沢君じゃないけど、確かにこういう時に頼れる人がいるとだいぶ違うかなー、と思ってしまう。

 ……何せ今までは友達同士で試験勉強することはあっても、途中で投げ出しちゃってたからね。その点、美坂さんは教え方も上手だし、キッチリした性格してるから中途半端なところで終わりにしてくれないから。

 それがいいことなのか悪いことなのかは、まあちょっと明言しない方がいいのかなー、とか。

「……いかん、無理だ」

「あら、もう諦めるの相沢君?」

「諦めるっつーかだな、香里。俺の隣を見てやってくれ」

「え?」

 今まで握り締めていたシャーペンを放り出して、後ろに手を付いた相沢君が視線で隣を示す。

 促されてそっちに視線を向けてみるとそこには、

「………………」

 もう、今にも頭から煙を吹きそうになってる北川君の姿があった。

 顔に張り付くんじゃないかってくらいに教科書を近付けてにらめっこしてるその姿は、どこか異様だなーとか他人事のように思ってしまった。

 いやもうね、とっさにちょっと引きたくなるくらいに醸し出してる雰囲気が異常なんだもん。思わず「うわー」とか小声で言っちゃうのは許される、よね?

「これでもお前はまだ勉強続けると言いますか」

「はぁ……ったく、しょうがないわね。でもまあ、時間は有限とは言え、確かにあんまり根を詰めすぎても仕方ないのは事実だし、今日のところはこれくらいにしておきましょうか」

「やったな北川、お許しが出たぞ!」

「……んあ?」

「あ、あの北川君大丈夫?」

 何だかわたしたちが何を言ってるのかも理解できてないのかもしれない……そんな風に思わせる北川君のことを見ながら、こういうことになった経緯をふと思い出してしまうわたしでした。





「なあ香里」

「何?」

 1週間の最後の授業が終わって、試験前だってこともあってクラスメート全員がさっさと帰る仕度を始めている中で、唐突に相沢君が美坂さんに話しかけていた。

「提案があるんだがいいか?」

「……この時期にそういう言葉が出てくるっていう時点でだいたい想像はできるけど、まあ言ってみなさいよ」

「ふむ、さすが香里先生。俺たちの思考などお見通しというわけですな。とゆーわけで勉強教えてプリーズ。特に北川に」

 言いながら相沢君は、いつの間にかその後ろに立ってた北川君に視線を向ける。

 そしたら北川君はどこか恥ずかしそうにしながら、手を合わせると深々と頭を下げて、

「頼む美坂! このままじゃさすがにやばいんだ」

「あ、じゃあみんなで勉強会やるのどうかな」

 今のままじゃあわたしも危ないかもだし。そう続けながら水瀬さんがそんな提案を出してきた。

「せっかちゃんもそれでいいよね?」

「え、わたしも?」

「うん、もちろんだよ。仲良し5人組で勉強会、ね」

「え、あ、でもわたしなんて邪魔するだけだと思うし……」

「ああ、その辺は気にしなくても大丈夫だぞ、せっか。たぶん香里以外の全員は足手まといにしかならん」

 や、そんなキッパリ断言しなくても。

「そう思うんだったら日頃からちゃんと勉強してなさいよ、あんたたちは。仮にも受験生でしょうが」

 美坂さんも同じ気持ちだったらしく、ため息混じりにそんなことを言ってくれました。

 でもね、結局はわたしたちに付き合ってくれる辺り、彼女もずいぶん優しい人だなー、と思うわけです。彼女も言ってるように試験勉強だけじゃなくて受験のこともあるわけだし、美坂さんだって自分のことで手一杯のはずなのにね。

「しかし5人か……どこに集まってやるかが問題だな」

「ねね祐一、ウチでやれば問題ないよ。部屋も余ってるから泊りがけでやるのもいいんじゃないかな」

「うむ、ナイスだ名雪」

 いえーい、とハイタッチを交わす従兄妹コンビ。それを見た美坂さんはまたため息をついてから、

「まあそれはどうでもいいんだけど、泊まりでやるんなら一旦帰って準備してからにしないとね」

 確かに。夏場で汗もかいてるし、せめて着替えくらいは持っていかないと申し訳がない。

 それにしても毎度のことながら、こんなに突発的に決めちゃって大丈夫なのかな。秋子さんは確かにできた人ではあるけど……

「んじゃ、ひとまず解散するか。3人はテキトーに着替えなり何なりを準備して待機。俺たちが秋子さんに訊いて大丈夫だったら連絡するから」

「はいはい。それじゃあまた後でね」

「あ、待ってよ香里、一緒に帰ろうよ」

「……あたしたち、家が別方向だって名雪だって分かってるでしょうが」

「だから校門までだよ。せっかちゃんも一緒に」

「うん」

 と頷いたのはいいんだけど、結局わたしも2人とは違う方向だから……途中までは水瀬さんたちと同じ道だけどね。

 でもま、みんな同じ家に住んでるわけじゃないんだし、こればっかりは仕方のないこと。

 だけど放課後のこの疲労感と解放感を共有できる時間っていうのは貴重だなー、と思ってしまう今日この頃。

 そして、のんびりしてるのにこういう時はみんなのことを引っ張っていく水瀬さんは凄いなー、とか考えながらみんなそろって教室の外へと足を踏み出した。





 家に帰って準備が終わったー、と思ってたらちょうど電話がかかってきた。

 電話越しに相沢君と話したところによると、今回もまた一瞬で「了承」が飛び出したらしいんだよね。つくづく秋子さんは凄い人だと思った。

 ……やっぱり母子なんだなー、とか妙に納得できちゃった自分がいるのはどうしてなんだろうねぇ。

 ま、ともかくそんなわけで水瀬家へと向かったわけです。そしたらまるで待ち合わせたかのように門の前で北川君と美坂さんとバッタリ。

「あら、霧崎さん」

「お、偶然だなぁ」

「ホントだね。でも、いきなり押しかけちゃって大丈夫かな」

「平気よ。名雪もそう言ってたし、何より秋子さんだから」

「違いない」

 美坂さんの言葉に苦笑する北川君。

 わたしとしても、この数ヶ月の付き合いで水瀬さんたちがどんな性格してるのか、とかは多少分かったつもりだけど……それでも秋子さんだけはよく分からないんだよねー。

 ともあれ、そんなことを話しながら玄関のチャイムを鳴らすと、程なくしてドアが開けられて、

「お、みんな一緒だったのか」

「うん、ちょうどすぐそこで会って」

「そうか。まあとにかく上がってくれ」

 彼に促されて、口々に「お邪魔します」と言いながら靴を脱ぐ。

 そして相沢君に案内されたのは2階にある部屋で、真ん中にテーブルが2つとエアコンがあるだけの殺風景な部屋だった。

「……何だよ、何もない部屋だな」

「そりゃそうだ。元々誰も使ってない部屋なんだしな。いらん誘惑がなくていいんじゃないかって秋子さんがね」

 北川君の言葉に苦笑しながら相沢君が説明してくれる。確かに、勉強しに来たんだからそれはそれでいいんだけどね。息抜きは……まあみんなでおしゃべりでもすればいいかな?

「ところで名雪は?」

「さっき秋子さんと一緒に買い物に行った。晩飯の材料調達ってとこだろ」

「……あの子、もしかして目的見失ってないかしら」

「それはないだろ。『みんなが来たら先に始めててー』とか言ってたからな」

 水瀬さんの物真似をしながら説明してくれる相沢君。……でも、正直あんまり似てないんだよね。美坂さんもそう思ってるのかただ苦笑。

「それじゃあ早速始めましょうか。みんながどれくらいやってるのか確かめないと、教える方としても困るから」

 なんて彼女の言葉で、わたしたちは小さい方のテーブルに男子、大きい方のテーブルに女子っていう風に分かれて勉強道具を広げることになった。

 それからしばらくして水瀬さんが帰ってきたんだけど、その時にはすでに北川君はいっぱいいっぱいだったみたいで、見ててちょっと不憫だった、かな。





 途中で何回か休憩を挟んでご飯を食べたりお風呂に入ったりして、夜もすっかり遅くなってきた頃。

 とうとう頭から煙が出ちゃってた――もちろん実際に見えたわけじゃないけど――北川君に休んでもらうためにも今日の勉強会はおしまいってことになって、相沢君が彼のことを抱えて自分の部屋に連れて行った。

 あれは最初の休憩の時だったかな、今日泊まることになるのは北川君が相沢君の部屋で、わたしと美坂さんが水瀬さんの部屋だって。

 3人も一緒に入って狭くないのかなー、と思ったんだけど、この部屋にあるテーブルは元々2人の部屋にあったやつらしいから、まあ寝るくらいなら何とかなるんじゃないかっていう話だった。

 幸いにして夏だし、それこそお布団なくてもどうにかなるけどね。でも試験も近いし風邪は引かないようにしないと……

「それじゃ、あたしたちもそろそろ行きましょうか」

「うん、そうだねー」

「そういえば霧崎さんは名雪の部屋に入ったことある?」

「ううん、ないけど。どうして?」

「……きっと驚くことになるから、ちょっと覚悟しておいた方がいいかも」

 ど、どういうことだろう。何か凄いモノでもあるのかな。

「そんなにビックリするかな」

「アレ見せられて驚かない人はいないと思うわ……」

 首を傾げる水瀬さんに、美坂さんは頭を押さえながら答える。

 一体、彼女をこんな風にするものって何なんだろう。ちょっと部屋に入るのが怖いような気がしないでもないんですけど。

「あ、あの……」

「うーん、じゃあそれはせっかちゃんに見てもらって判断しよう」

「え、えぇ?」

「とゆーわけで、わたしの部屋にごあんなーい」

 何故か妙にテンションの高い水瀬さん――相沢君や美坂さんからすると「ありえない」だそうだけど――がガチャリとドアを開けると、わたしの前に広がっていたのは色とりどりの……時計?

「ね、どうかな?」

 なんだか知らないけど、期待に満ちた視線をこっちに向けてくる水瀬さん。

 てゆーか、えーと、何でこんなに時計あるんだろう。もしかしなくても全部目覚まし時計だろうし……こんなにあるのに朝起きられないのかな。まさか全部使ってるわけはないだろうけど……

「……まあ、霧崎さんが何を考えてるのかはだいたい分かるわ。でもね、名雪はこれ全部使っても起きないのよ」

「ええっ!?」

 そ、それはさすがに寝起きが悪いとかいうレベルじゃないと思うんだけど……でも首を横に振ってる美坂さんの姿からして、それがホントだってことは明らかだった。

「初めて泊まりに来た時なんて、翌朝これが一斉に鳴り出してね。あの時は鼓膜が破れるかと思ったわ」

「うわー……大変だったんだろうねぇ」

 しみじみそう思ってしまった。そんなわたしたちの会話を水瀬さんは不満そうに「うー」とか唸りながら見てたけど。

 そんな彼女のことを宥めたり、明日の朝鳴らす時計を何個にするか話し合ったり。それからはみんなで寝っ転がったまま色んなことをおしゃべりした。

 学校のこと、勉強のこと、これからのこと――そんなことを話してる間に時間はあっと言う間に過ぎて、気付いたらそろそろ日が変わろうとしているのに気付いた。

「わっ、もうこんな時間なんだ」

「あらホント。名雪がこんなに遅くまで起きてるなんて、明日は雪でも降るのかしら」

「うー、これくらいわたしだってできるもん」

「どうでもいいけど、明日の朝なかなか起きられなくて迷惑かけないでよね」

「え、えーと……あ、それよりせっかちゃんっ」

 ジト目になりながらの美坂さんの言葉に困ったのか、かなりの勢いでわたしの方に話を振ってきた。その剣幕にビックリだよ。

「な、何?」

「ずっと気になってたんだけどね。せっかちゃんって祐一のことどう思ってる?」

 ――頭の中が真っ白になりました。

「い、いきなり何を言うかな、水瀬さん」

「だってねぇ、香里」

「そうね、いつも2人一緒にいるし……あたしとしてもちょっとハッキリしてもらいたいところだわ」

 ふえーん、そんなこと言われてもぉ。

 だいたいわたしと相沢君は付き合ってるわけじゃないって何度も言ってるのに、どうしてこんなにみんなくっ付けたがるんだろう。

「そ、そんなこと言ったら美坂さんだって」

「あたし?」

「うん、北川君のこと。だって彼が一生懸命勉強してるのって美坂さんと同じ――」

「別に彼がどこを目指そうと自由だもの。あたしがどうこう言えるものじゃないでしょ?」

「それは、そうかもしれないけど……」

 なんだか可哀相なんだけどな、北川君が。

 美坂さんは勉強できるから、きっと目標にしてる医学部のある大学にも受かると思う。

 でもその大学っていうのがこの街から離れたところにあるから、もし合格したら美坂さんはこの街を出て行くことになるんだよね。だから北川君は少しでも近くにいるためにって頑張ってるんだ。

 そんな彼の想いを知ってか知らずか、美坂さんは妙に彼に対して冷たい態度を取ってることが多いような気がするんだよねぇ。

「あ、それは気にしなくても大丈夫だよせっかちゃん。これでも香里はちゃんと分かってるんだから」

「え?」

「ちょっ、名雪っ!」

「北川君に追っかけられてるの、まんざらでもないんだって。だから何だかんだでちゃんと面倒見てあげてるんだよ。ね?」

 水瀬さんの問いかけに美坂さんはそっぽを向いてしまう。

 でもチラッと見えた顔がうっすらと赤くなってたのは……たぶん、そういうことなんだろうね。ちょっと安心かも。

「ああもう、それよりそろそろ寝ないと明日が大変になるわよっ。いい加減寝ましょうっ」

「あはは、そうだね香里」

 おやすみっ、と短く続けて布団に包まってしまった美坂さんに、わたしと水瀬さんは顔を見合わせて小さく笑みを零して、それから同じようにして布団の中に入った。

 それからすぐに部屋の明かりが消されて、間もなく2人の寝息が聞こえてくるようになって、寝付きいいなー、とか思ったり。

「……それにしても」

 さっきの水瀬さんの言葉が頭の中から離れてくれない。

 相沢祐一。

 ある日、ホントに些細な偶然から見知った男の子。

 波長が合ったのかどうかは分からないけど、あっと言う間に仲良くなった男の子。

 確かにわたしにとって、一番親しいところにいる男の子かもしれないけど。

「だからって、好きとかそういうのは、ねぇ」

 小さく口の中で呟いて、苦笑しながら静かに目を閉じる。

 この部屋に入った時に視界に飛び込んできたたくさんの時計たちが奏でる音を聞いていると、何故か頭の中に浮かんでくるのは相沢君の笑顔。

 どうにかしてそれを追い出して眠ろうと思うんだけど、どうしても見えなくなることはなくて。

 わたしってば一体どうしちゃったんだろう。この日完全に眠りに就くまでの間、そんなことを考えていた。






後書き

どもー、迷宮紫水です。
「何気ない日常の中で」第8話でした。
定期試験……嫌な響きですねぇ。しかし避けては通れない道だったりもするわけで。
こんな風にみんなで集まって勉強、ってことになれば少しは面白かったんでしょうか。
でも結局は勉強ですからね。楽しいか楽しくないかで言ったら……まあ人それぞれだとは思いますが。

とりあえず、雪花の中では1歩前進……してるんでしょうか?
もうちょっと急展開にした方がいいんだろうかと悩む今日この頃。
その辺りも含めてご意見ご感想、叱咤激励その他「早く続き書いてー」みたいなのがありましたら
こちらまで。


マサUです。第8話頂きました。

定期試験、嫌ですねぇ〜私も今ちょうど試験真っ最中なので特に。

それにしてもせっかちゃんが可愛い〜って、毎回言っているような(笑)

でも可愛いし。特に目を閉じると祐一の笑顔が浮かんでくるってところが。

自分のボキャブラリーが少ないのが悲しい……

急展開なのもいいけどこういうゆったりとしたのもいいなぁと再認識しました。

 

感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!

 

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