第10話 夏の過ごし方









 いくつものシャーペンが立てる音だけが聞こえてくる。

 でもそんなことを気にする余裕もないくらいに、目の前に広げられている問題との格闘が続く。

 一体解き始めてからどれくらいの時間が経っているのかは分からないけど、そろそろ終わりが近付いていることだけは確か。もう全部やり終えた人たちがどこかそわそわし始めているから。

 以前に教わった簡単に解けるやつから終わらせて、少しでも点を稼げるように問題をこなしていくようにしたこの頃は、明らかに昔に比べてできるようになった……気がする。

 でもまだまだ勉強が足りてないかなー、と思ったその時だった。

「……はい、そこまで。採点するからこっちに渡して」

 鳴り出した時計のアラームを止めて、美坂さんが言う。その瞬間、わたしたちの間からはどっとため息が零れた。

「ちょっと、何これくらいでそんなに疲れてるのよ」

「や、さすがに毎日のように香里特製のテスト受けてたら神経すり減らすって」

「……まるであたしがやってることが余計なお世話とでも言いたそうな顔ねぇ」

「いやいやいや、香里先生にはホント感謝してますです、はい」

 ジト目で睨み付けられて思いっ切り下手に出る相沢君。その揉み手は一体何なんだろう……

「それにしても美坂さんは凄いよね。こんなに問題考えられるなんて」

「たいしたことじゃないわよ。参考書に載ってる問題をちょっといじってるだけだから」

 取り出した赤ペンで1つずつ答え合わせを進めていく彼女は、実にあっさりと言ってのけてくれました。

 でも、少しいじってるからって……ううん、少しでも問題を変えられるっていうことはそれを十分に理解しているっていう証拠でもあるわけだし、やっぱりさすが学年主席っていうだけのことはあると思う。

 そんな彼女に引っ張ってもらっているから、わたしたちの学力も多少は上がってるんだろうけど、他の人たちもそれぞれ必死に勉強してるんだろうなーと思うとちょっと憂鬱。

 特に最近は、どうにも相沢君のことが気になって気になって勉強に身が入ってないのも事実だし。

「まだまだ頑張らないといけないかなぁ……」

「そうね、特に北川君は」

「オレか!?」

「はい、これ」

 そう言って美坂さんが渡してきたのは、たった今終わらせたテスト。

 自分で作った問題だからか妙に採点が終わるの早かったけど……うあ、凄いことになってる。

「ちょ、うぇ?」

「相変わらずケアレスミスが多いのよ。それを気を付ければまだまだ伸びると思うけど……今日のはさすがに酷いわね。夏休みだからって油断しすぎじゃないかしら?」

「む、むぅ……」

「はっはっは、言われたな北川」

「相沢君も他人のことは言えないわよ。基礎はできてるのに応用力がないんだから」

「ぐ……」

「はっはっは、言われたな相沢」

「……何であんたたちはいつもいつも、そう反省の色が見られないのかしら?」

「ま、まあまあ落ち着いて香里」

 若干殺意の篭った瞳で2人のことを睨み付ける美坂さんを水瀬さんが宥めようとしているけど、あんまり効果がなさそう。っていうか、それ以前に男子2人は全然堪えた様子がないんだよね。

 これじゃあ美坂さんが怒るのも無理はないとは思うけど、彼らの場合はどれだけ言っても無駄と言うか何と言うか……

「それにしても、美坂さんも自分の勉強があるのにいつも手伝ってくれて……ありがたいんだけど、その、いいの?」

「大丈夫よ。前にも言ったような気がするけど、他人に教えるのっていい復習になるんだから」

「そうなんだ」

 こういうことがサラッと出てくる辺りはやっぱり凄いなーと思ってしまうわけで。

「はい、霧崎さんの」

「あ、ども」

 戻ってきた答案に視線を落とし、ちょっとボーゼン。

 おかしいなぁ、結構できたと思ってたんだけど、予想よりもだいぶ低いような……うーん、やっぱりまだまだ勉強が足りてないってことなんだろうか。

「霧崎さんは丁寧に問題解いてるから、そのままやってれば伸びると思うわ」

「そうかなぁ」

「大丈夫だよせっかちゃん、香里が言うんだから間違いないって」

「あんまり過大評価されるのもどうかと思うけど……はい、名雪の分。名雪はもっとテキパキと答えていかないと、時間足りなくなるかもしれないわよ?」

「う、頑張ってみるよ……」

 手渡された用紙を見ながら水瀬さんが唸る。

 夏休みに入ってから何度目になったか分からない、美坂さん作成の試験問題。

 最初はこうやって集まってそれぞれがただ参考書なり何なりを解いてるだけだったんだけど、どうも効率が上がらないっていうことになって、それで美坂さんが問題を作ってくれることになったんだ。

 正直物凄い手間のかかることを押し付けちゃったような気がするんだけど、それでも文句も言わずに作ってきてくれる美坂さんは偉いなーと思う。

 でも、個人的にはいつもいつも抜き打ちテストっていうのがちょっと……確かにちゃんとやってるかどうかを確認するにはもってこいの方法なんだけどさ。

「……しかし、これだけ勉強してるにもかかわらずあんまり点伸びてないよな、俺ら」

 バタンと仰向けに寝転がって手にした紙をヒラヒラとしている相沢君がそんなことを口にした。

 そう言われてみれば、何度やっても似たような点数しか取れてないような気がする。そのせいもあって、どーも自分がちゃんと勉強できてるのかが不安になるんだよね。

 まあ、同時にそれはまだまだ伸びる余地があるってことだろうし、一生懸命勉強すればきっと成績は伸びることだろうと思うわけだけど。

「あら、気付いてなかったの?」

「何にだよ」

 頭だけ起こして顔を向けてきた相沢君に、美坂さんは口の端だけ器用に吊り上げると、

「毎回問題を難しくしてることに」

「……は?」

「だから、どんどん難しい問題にレベル上げてるのよ。ホントに少しずつだけどね」

「え……と、何で?」

「そうしたらなかなか点数が伸びないから必死になって勉強するでしょ?」

 あっさりと言ってウインクひとつ。

 そんな彼女に感心すると同時に、その策士っぷりにちょっと唖然。

 わたしたちのことを考えてそうしてくれていたんだろうけど、さすがにそれはどうなんでしょうか……受験生としては実に正しいスタイルだとは思うけどねぇ。

「ちなみに今回はこの辺から選んでみたんだけど」

「って、おい! それはさすがに無理があるだろうが!」

 美坂さんが取り出した本を見て絶叫する相沢君。それを目にしてわたしも思わず引いてしまった。

 チラリと部屋の中を見回してみれば、同じように愕然としている北川君に水瀬さんの姿もあって、やっぱりこれはわたしたちにとっては分不相応なものだったんじゃないかなー、と思う次第。

 だってですね、彼女が見せてくれたのは某有名国立大学の予想試験問題集ですよ!?

「別にそのまま出したわけじゃないわよ。みんなでも解けるように多少簡単にしてるから」

「いやいやいやいや、そういう問題かよ?」

「ちなみに霧崎さんは正解してたわね」

「うそっ!?」

 思わず手に持った試験問題に目を落としてしまう。

 正解と不正解が散りばめられた答えたち。その正解のうちの1つにあそこから出された問題があるんだ……

「そういうわけで、自分たちの実力が伸びてるのが理解できたかしら?」

 思わずコクコクと頷いてしまう。

 どうやらそれは他の3人も同じだったらしく、一様に自分の解答を眺めながらウンウン唸ってたりして。

 そんなわたしたちのことを満足げに眺めていた彼女に、

「やっぱり美坂さんは凄いね」

「そんなことないわよ。ちゃんと理解していれば誰にだってできることだもの」

 なーんて、あっさり言ってのけちゃう辺りがまた凄いなー、と思わせるわけです。

「――皆さん、ちょっといいかしら」

「あ、うん」

 唐突にドアの外から聞こえてきた秋子さんの声に水瀬さんが反応する。

 それから一呼吸ほどの間を空けてから音を立ててドアが開かれ、コップ5つと麦茶ボトルを乗せたお盆を持っている秋子さんが姿を見せた。

「そろそろ一息入れたらどうかと思ったのだけど、邪魔じゃなかったかしら」

「ううん、今ちょうど一段落したところだよ」

 答えながら立ち上がった水瀬さんが秋子さんの横に並んでお盆を受け取る。

 こうやって2人が並んでいるところを見るとよく似てるんだよね。やっぱり親子……いや、どう見ても姉妹にしか見えない辺りは「さすが秋子さん」なんだろうか。

「くあーっ、生き返るっ!」

「おうよ、これだけで今までの疲れが吹っ飛ぶみたいだな!」

「何をオヤジ臭いこと言ってんの、あんたたちは……」

「あはは、でも喉が渇いてたのはホントなんだしいいんじゃない?」

「お前はよく分かってるなぁ、せっか」

 何故か妙に嬉しげに頷いている相沢君は放っておくとして。

「ところで美坂さん。今日はまだ何かやるの?」

「そうねぇ……いつも通りに勉強続けてもいいんだけど、毎日毎日勉強漬けでも効率が下がるだけだろうし」

 特に誰かさんたちはね、と言葉を続けながら男子2人に視線を向ける。

 すると面白いもので2人とも悪いことを親に見つかった子供みたいに身を竦めるんだよね。それがまたおかしくて笑いを堪えるのが大変なんだ。

「だけど、この前わざわざ遠出してまで海に行ったことも考えるとね……」

「ま、まあ待て美坂。いきなり前言撤回することはないだろ」

「うむ、北川の言う通りだな。たまには息抜きせんと体がもたん」

「あんたたちの場合は放っておくといつまでも息抜きしてるでしょうが。あんまりグダグダ言うようなら課題増やすわよ?」

「マジ勘弁してください」

 平謝りする北川君。だけど対照的に相沢君は何故か自信たっぷりに構えてたりする。

「ふっ、そんなこと言ってはいるが、どこにこれ以上課題を出すような余力があるのかね」

「はいこれ」

「ゴメンなさい、私が悪ぅございました」

 目の前にさっき彼女が取り出した問題集を放られた瞬間平伏す相沢君。一体何がしたかったんだろうこの人は……

「まあこの2人のことはさておくとして、ホントにどうしましょうか。霧崎さんは何かない?」

「え、わ、わたし?」

「たまには意見を聞かないとね。基本的に相沢君たちのバカ騒ぎに巻き込まれてるわけだし」

 いやまあそれはそうなんですけど、いきなりそんなこと言われても困るなぁ。

 主体性がないと言われれば反論できないんだけど、相沢君たちを前にしたら多少の主体性なんて持ち合わせてても無意味だしね。

 それにしても困った。どこかに遊びに行くには中途半端……と言うかもうすぐ夕方だし。そろそろ解散してもいいくらいの時間ではあるかな。

 水瀬さんにこんなこと言ったら「気にしなくていいよ〜」とか言われそう。今は秋子さんがいるからなおさら。なーんてことを考えてたら不意にその秋子さんが水瀬さんの方に向き直って、

「あら、もしかして名雪、まだ伝えてなかったの?」

「……あ、すっかり忘れてたよ」

「どうかしたの? 何か用事でもあるのかしら」

「そういうわけじゃなくてね、今日は夏祭りの日だからみんなで行こうよっていう話をしようと思ってたんだよ」

「で、それを今の今まで忘れていた、と」

「えへへー」

「まあ名雪らしいと言うか何と言うか。それにしても、もうそんな時期だったっけ……勉強ばっかりしてたから忘れてたわ」

「そういえば毎年この時期だったね」

「……ふ、ふふ、ふふふふふ」

「うわぁっ!?」

 地の底から聞こえてくるような笑い声に思わず声を上げてしまう。って、いつの間にわたしの隣に移動してたんだろうこの2人は。

「祭りと聞いた以上、黙って引き下がるわけには行きませんな北川さん」

「そうですな相沢さん。ここは我々の腕の見せ所でしょう」

「あ、あのー……美坂さん」

「放っておいたら? こーゆー方向でスイッチ入っちゃったら戻らないわよこの2人は」

 そう言って麦茶の入ったコップを傾ける美坂さん。でもね、どうして少しずつ離れるように移動してるのかな?

「夏祭りって言ったらやっぱり浴衣よねぇ」

「わたしの浴衣ってどこにしまっておいたっけ」

「たぶん名雪の部屋にあると思うけど、ちょっと探してきましょうか」

「って、もう行くこと決まってるし!?」

「なんだ、せっかは行くつもりなかったのか?」

「うひゃぁっ!」

 いきなり目の前に顔を突き出されたもんだから、またビックリして後ろに下がってしまった。何かもー、物凄い心臓がドキドキしてますよ?

「そんなに驚くことないだろ。傷付くなー」

「あ、ゴメン……って、そうじゃなくて、いきなり出てきたらそりゃビックリするよ!」

「はっはっは、俺とせっかの仲なんだ。それくらいで驚くことはないだろ」

 ……一体どういう仲なんだろう、わたしたち。

「ともあれ、夏祭りで英気を養おうじゃないか。とゆーわけだからな香里」

「はいはい、あたしも浴衣着てくればいいわけね」

「うむ、よく分かってるじゃないか」

 まったくだよ。わたしなんかより美坂さんの方が相沢君たちのことを分かってるような気がする。

「せっかも分かったか?」

「うん。……って、もしかしてわたしも浴衣?」

「当たり前だろ。ここまできて1人だけ着てこないなんてことは」

「だって、わたし浴衣持ってないよ」

 そりゃ小さい頃は着てた記憶もあるから、探せばその頃のが出てくるかもしれないけど……いくらなんでもそんなの着れるわけないし。

 まさに「ない袖は振れない」ってわけだねー、なんて頭の中で考えてみたりして。

「浴衣だったらいくつか余ってるけど、それでよければ使う?」

「へっ?」

「私が昔に着ていたものがまだ残ってるはずだから」

「ふむ、これで解決だな。じゃあ各自準備を開始してくれ」

「了解だよ」

「あたしは家に帰って自分の浴衣持ってくるわね」

「祐一さんと北川さんにも浴衣着てもらいましょうか」

「オレもっすか?」

「男物あるんですか……? ホントにこの家には何でもあるなぁ」

 いやあの、わたしの意見ってものは訊かれないんでしょうか。

 何だかまたうやむやのうちに流されてしまってるような気がするんだけど……これって、気のせいじゃないよねぇ。

「じゃあせっかちゃんはこっちー」

「え、あ、いや、ちょっと水瀬さんー?」

 グイグイと腕を引っ張られながら、一体どうなることやらー、なんて他人事のように考えるわたしがいるんだけど、同時にどこかで楽しみにしてる自分もいるんだよね。

 ここ最近ずっと勉強ばっかりしてたからか、それとも……

 ま、いいや。こうなった以上は思いっ切り楽しむことだけ考えよう。そんなことを思いながら急かすように腕を引く水瀬さんの後に続こうとして、コップに残っていた麦茶を一息に飲み干した。






後書き

ども、お久しぶりの迷宮紫水です。こんにちはー。
「何気ない日常の中で」第10話でした。
またずいぶんと日が空いてしまいました……作中の季節に追いつかれるとは。
ともあれ、前回に引き続き今回も安易な考えの下で夏祭り編です。
前後編になってしまったのでできるだけ早くお届けしたいものですが……さてどうなることやら。
すでに構想はできてるので書くだけなんですけどね。まあのんびりやっていこうと思います。
それではご意見ご感想、叱咤激励その他「早く続き書いてー」みたいなのがありましたら
こちらまで。


迷宮紫水さんから待ちに待った10話を頂きました。

受験勉強か……香里みたいないい先生がいたら私ももっと良い大学にいけたのかなw

それにしてもテスト問題を作れるという香里が凄い。

本当によっぽど理解してないとつくれませんもんね。

そして次回は夏祭りということで。

私の近くではそういうのが無いのでなにか憧れます。

なにやら事件が起こるのかそれともほのぼのいくのか楽しみです。

 

感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!

 

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