漆黒の闇を歩く。
空に浮かぶは朧月。
薄く漏れた程度の光では木々の枝葉にて闇に掻き消される。
この闇では眼はまるで機能しないのに隠れた風景が見えているかのように迷いなく足を進める。
歩く度に響く水溜り。
足に体重をかける度に圧し折れる枝。
歩くのを邪魔するかの様な岩。
聞きなれた音。
闇に隠れた見知った光景。
辺りに漂う嗅ぎ慣れた臭い。
月を蔽う雲が風で動く。
なのにこの場の空気はまるで動かない。
木々が風を遮っているのか。
それともこの空間が停滞しきっているのか。
いくら足を動かしても前に進んでいない様な感覚。
同じ場所に固定されてしまった様な錯覚。
目の前の――――漆黒の一部が蠢く。
「――――久瀬の後継か」
蠢く闇から言葉が発せられる。
それに応えず、久瀬は脚を突き動かす。
地面に張った水溜りがまた音を響かせる。
心地良くそして嫌な音だ。
「あまり踏み荒らしてくれるな」
低く平坦な声。
感情がまるで感じられない。
久瀬は歩みを止め、言葉を紡ぐ。
「――――ヤタ」
月が雲から顔を出し、枝葉を通り抜けた光が辺りを薄く照らす。
「何をしているんですか」
「見ての通りだ」
静かに辺りを見渡す。
今まで闇に隠れていたそれら。
所々にある水溜りは――――真っ赤な血。
枝だと思ったそれは――――折れまくった骨。
岩の様に固くなった――――切り刻まれた肉塊。
「皆、死んでますね」
「我が烏の一族は全滅した」
淡々とした声。
それは感情がないのではなく――――押し殺している。
だが、その内なる激情は押さえ切れるものではなく、大気中に満ち溢れていた。
それはこの場の凄惨なる光景よりも遥かに重く苦しい。
月が再び雲に隠れ、辺りは闇に包まれる。
視覚が奪われて、余計に感じる空気の重さ。
それをただ無言で浴びる。
漆黒の――――静寂。
それを破ったのは八咫烏。
「頼みがある」
「引き受けましょう」
久瀬は即答する。
その言葉を待っていたかの様に。
八咫烏が頼み、久瀬が引き受けたというのに場には沈黙が落ちる。
視覚には映らなくとも体に感じる一族の死。
辺りに漂う血の独特の臭い。
そこから感じ取れる――恐怖、憤怒、悲哀、絶望――負の感情。
闇よりも更に深く濃い感情がこの空間に閉じ込められている。
唐突に生まれる一欠けらの光。
闇を和らげる僅かな光。
それは久瀬の掌に浮かぶ小さき炎。
放るように軽く地面へ投げる。
瞬く間に炎が燃え広がる。
血が蒸発し。
肉塊を溶かし。
骨をも灰へと帰す。
地面を覆い尽くす烏の屍骸。
充満した死。
停滞した死。
終了しきった死。
その死すらもその炎は消し去ってしまう。
八咫烏はただ静かに見守る。
自らの一族の埋葬をただ見届ける。
「――――紅蓮の炎よ」
久瀬が言葉を紡ぐ。
謳うかのように。
叫ぶかのように。
宣言するかのように。
紅蓮の炎よ。全てを燃やせ。
恐怖、憤怒、悲哀、絶望。
汝らが感じた全てを炎に委ねよ。
全てを燃やし尽くしてくれよう。
恐れず、灰燼へと帰せ。
その灰は我が頂く。
安心せよ。我は同胞だ。
汝らの願いを知っている。
汝らの想いを解っている。
叶えよう。
契約だ。
だから今は眠れ。
炎に身を委ねよ。
我が名は――――久瀬。
汝らに最も近き一族だ。
久瀬の言葉に応えるかのように炎が更に激しく燃え盛る。
「――――久瀬の後継よ。…………恩にきる」
久瀬は一瞬だけ眼を瞑ってから、応える。
「構いませんよ。あなたに貸しを作る機会なんてめったにありませんからね」
八咫烏は驚き、やがて――――笑う。
「…………貸しか……かは……ははははは…………そうだな。その通りだ……はは…ははははははは……」
とても楽しそうに笑う。
八咫烏は笑い続ける。
とてもとても楽しそうに笑う。
闇に溶く羽根が跳びまわるを見て。
赤い水が消え去っていくのを見て。
炭から灰へと朽ちていくのを見て。
とてもとても悲しそうに笑う。
泣く代わりの様に。
八咫烏は笑い続ける。
久瀬は何も言わない。
狂った様に笑う八咫烏をただ眺める。
狂えれば楽なのに。
それでも狂わない。
分かっている。
その理由を解っている。
八咫烏。
契約だ。
死者を消し去る炎もやがて小さき残り火へ。
されど笑い声は変わらず響く。
儚き――――喧騒。
それを壊したのは久瀬。
頼みを聞くためにも。
契約を果たすためにも。
訊かなければならない。
「八咫烏。あなたを殺したのは誰ですか?」
漆黒の亡霊は笑うのを止めた。
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