魔術の属性に『空間』という種類がある。
その『空間』を遣った魔術を二つ紹介しよう。
≪空間歪曲≫――――空間を捻じ曲げ、あらゆるものを遮断する。或いは別の空間同士を繋ぎ合わせる事が出来る。
≪亜空間≫―――――現実とはまったく別の異空間で術者の好きなように創り上げれる。
また、現実に存在する場所と似て非なる空間も当然作成出来る。
この『空間』の属性は一握りの魔術師にしか遣えない。
また≪転移≫も『空間』に属されるが、この魔術は『空間』の中でも特異で更に一握りの魔術師に限られる。
だが、今大事なのは≪空間歪曲≫と≪亜空間≫の二つ。
この二つのどちらかが『学校』に仕掛けられていた。
「どー考えても原因はこの魔石だよなぁ」
黒く鈍い光りを発する魔石を頭上に投げ、落ちてきたのを掴んではまた投げる。
そんな事を繰り返しながら祐一は学校の中心、雪原にある唯一の樹に体重を預けながらぼやく。
魔石を樹から外すのが切っ掛けで≪空間歪曲≫又は≪亜空間≫が発動する仕掛けになっていたようだ。
結局魔石は特別な訳ではなかった。単なる『鍵』としての役割を持っていただけで実の所、魔石以外のなんでもよかったのだろう。
とりあえず試しに魔石を元の場所に嵌めてみたが仕掛けが元に戻ったりはしなかった。学校に閉じ込められたまま。
何度目か分からない空との魔石のキャッチボール。受け取った魔石を相手に投げずに懐にしまい、空を眺める。
日が傾き、そろそろ世界が紅く染まる時間帯。
ちっと舌打ちをして、打開策を考える。
早くここから脱出しなければならない。
ここが紅く染まってしまう前に。
学校が紅く染まるのはあまり見たくない。
それに、染まりきるまでに脱出しなければ間に合わない。
早く学校から出なければ。
早く雪華都に戻らなければ。
「――――秋子さんに怒られる……!」
うわっ。怖ーーーーっ。
考えただけで恐ろしい。
だって昨日の今日だぞ? 二日連続はまずいって。
昨日の罰だけでも精神的疲労がかなりなものなのにこれ以上罰が増えるのはごめんだ。
てな訳でっ。
脱出方法その一!
力ずくで破壊して脱出。
原理はいたって簡単。『空間』の魔術によって閉じ込められたのならそれを上回る力でぶち破る。
しかし、こいつはかなり強力な魔術をぶつけなければいけないので学校も破壊されるのは必至。
うーむ……。
学校を破壊か…………。
そんな事をするくらいなら秋子さんに怒られた方が…………。
昨晩の秋子のど迫力の笑顔が頭に浮かぶ。
秋子さんに怒られた方が………………。
にっこりと笑う秋子。
…………怒られた方が………………。
にっこりと。
……………………………………………………。
にっこり。
「…………………………秋子さんに怒られた方が怒られた方がマシだ!!」
拳を振り上げて力強く叫ぶ祐一。
頑張った……頑張ったよ俺…………。
…………かなり迷ったけど、俺……頑張ったよな。あゆ……。
ギリギリで破壊を踏み止まれた祐一だった。
方法その二!
≪転移≫を遣って脱出。
これが出来れば≪空間歪曲≫だろうが≪亜空間≫だろうが関係なく、この場から移動出来る。
しかし、問題をあげるとすれば。
祐一は≪転移≫が遣えない。
久瀬を連れて来れば良かったかと考え、すぐに絶対連れて来ないだろうと考え直す。
≪転移≫を発動させる魔道具なども存在するがかなり高価なので持ち合わせがない。
或いは『空間』の魔術が込められた何らかの媒体があればそこから学校に掛けられた『空間』に干渉して、打ち消す事は出来る。
だが、それすらもないのではどうしようもない。
最後の方法その三!
頑張る。
…………いや、ボケてないからな?
『空間』の魔術も完璧ではない。
必ず穴があり、そこを探し出せば意外なほど簡単に破壊でき、脱出できる。
ただ、これの問題点は地道に穴を捜すしかない、という事。
確実な脱出法だが時間がかかる。
そう。日が暮れるのがあっという間なくらい。
「秋子さんに怒られるのけってー…………」
あー……やる気でねぇ……。
他に方法ないもんかなぁ……?
かなり嫌だが他に方法はないのでこの案を使うしかない。
だったら悩む時間すら惜しい。
祐一は学校の中心の樹に手を当て、精神を集中させる。
感覚を研ぎ澄ませ、『空間』の魔力を感じ取ろうとする。
とはいえ祐一はこの行為にまったく期待していなかった。
この手のものは魔力が微弱すぎて、離れたところまで感じ取る事が出来ない。
感覚を研ぎ澄ませたまま、地道に歩き回るしかないのだ。
「あ…………?」
予想に反して感じる魔力の反応。
学校に仕掛けられた『空間』の魔力ではないだろう。これは……今、何かの魔術を発動させている……か?
方向は西の……やや北よりだな。
ある程度の魔力探査の感覚は残して、移動を開始する。
他に当てはないのだから行くしかない。
十分ほど移動した頃だろうか周りの木々がざわめき始めた。
風の力ではない何かが木々の上を移動しているかのような音。
その通りだと言わんばかりに聞こえる生き物の鳴き声。
足を止め気配を探ろうとするが、それより早くそれは襲ってきた。
背後からの襲撃。
素早い動きではあるが避けられないほどではない。
軽く身を逸らし、魔術を叩きつけようとしたがまたも背後からの襲撃。
魔術の発動を止め、更に避ける。
目の前に始めの襲撃者は存在する。
だから、二度目の襲撃者は別の者。
コンビではない、更に多い、集団だ。
正しく言うならば『群れ』だろうか。
二つの襲撃を避けきって、体勢を整えた時にはもうその姿はない。
周りの木々に潜み隠れた、か。
攻撃的なくせに用心深い。いや――――臆病、だな。
その正体は魔物『猿鬼』。
『鬼』の名を宿しているがこいつは『小鬼』の意味合いだ。
見た目は腕が異常に長い『猿』。
その腕の先の爪は肉を切り刻む攻撃力の高さが容易に想像出来る。
いきなり襲いかかる凶暴性はあるが、背後から攻撃してくるという用心深さ――――臆病さも持っている。
単体ならなんら恐れる事もないが、常に群れで行動するため、一番の脅威はその数。
さてはて――――何匹いるんだか。
祐一はめんどくさそうに辺りを見渡す。
気配を探ればその数、多数。
十や二十ではすまなそうだ。
やがてちらほらと獲物を吟味するように姿を――顔だけだったりもするが――現す猿鬼達。
実際問題、祐一にとって数が多いのは脅威ではなく、面倒なだけ。
倒すなど容易ではあるが時間はかかる。
そして今は時間が惜しい。
時間が惜しい。時間が惜しい――――が、放って置く事も出来ない。
ここは何もない森。
魔物の存在だって――――ない。
「お前らもこの場に好きでいる訳じゃないだろうし、むしろ同情するよ」
周りに聞こえるように声を張り上げるが、当然言葉は通じない。
「けど、こっちにも事情ってもんがあるわけでな」
右手に雷の魔法剣≪雷光≫を発動させる。
「――――死ぬほど手ぇ抜いてやるから、さっさと遊ぼうぜ」
祐一は挑発ともう一つの意味を込めてニィッと笑う。
祐一が跳ぶ。
今の挑発で襲いかかってくれれば楽であったがそこはさすが臆病者、無視を決め込む――――意味が分からなかっただけかも知れないが。
祐一は≪膜歩≫を応用して一跳びで遥か頭上にいた猿鬼のものに辿り着く。
こんにちは。と礼儀良く挨拶をしてから雷光で斬りつける。
そしてまた跳ぶ。
木の上を枝つだいに跳んでいく。
跳び移りざま二、三匹ずつ切り倒していき、円の形で木の上を一周すると地面に降り立つ。
数はあと六十ってとこか…………。
どうしたもんかな。
格好つけて挑発した割には実は何も考えていない祐一。
そんな事は露知らず、仲間がやられればさすがに怒るのか臆病者達が襲いかかってくる。
一番初めに跳び出て来たのが背後からってーのがなんともこいつららしいな。
四方から跳び掛かられたが、まずは一番距離の近い背後の猿鬼・二匹に振り返る。
一番距離が近いといってもまだ≪雷光≫の射程外。
それに≪雷光≫を持った祐一と腕の長い猿鬼は射程距離はほぼ同じ。相手の数が多いだけに≪雷光≫だけでは少し辛い。
左手に新たに魔術を生み出し、猿鬼へと放る。
「――――吹き飛べ。≪風華≫」
殺傷力は無いが風力は圧倒的。
空気の塊をぶつけられ、二匹の猿鬼は風に耐え切れずに木に叩きつけられる。
残り三方向の猿鬼。
まず一歩、目の前――吹き飛ばした猿鬼の方向に跳ぶ。
それだけで三方向――七匹の猿鬼を置き去った。
そして振り向けば先程まで祐一がいたその場にそれらは固まっている。
「も一つ≪風華≫!」
それによって七匹いっぺんに吹き飛ばし、木々に叩きつける。
猿鬼はさほど丈夫な魔物ではない。この程度で十分に気絶させる事が出来る。
と。
真上から突然の殺気。
振り返らずに地面に突っ伏す。
それでも後ろ髪が僅かに切られ、宙に舞う。
雪に思いっきり顔を突っ込んだ後、すぐさまその場を離脱する。
「……あ、あぶねーな! 若ハゲになったらどうすんだよ!?」
後頭部を押さえて冷や汗ダラダラの祐一。
一瞬でも避けるのが遅かったら髪の毛どころか頭がなくなっていたところだ。
とはいえ、四方八方囲まれているこの状況では突然攻撃がくるのは当たり前。油断する方が悪い。
ぎゃーぎゃーと文句を垂れる祐一にまたも背後から――今度は地面を駆けて――猿鬼の襲撃。
祐一はすぐさま振り返るがその時にはもうその猿鬼は離脱。
猿鬼達の本命は上空。
鋭い爪と長い腕によって遠心力のかかった必殺の一撃。
それも三匹での同時攻撃。
地面から上空へと相手が変わったため一瞬対応が遅れる。
その遅れのせいで全ての攻撃を避けきれず、祐一の右腕を傷つける。
そしてその猿鬼達は追撃させにすぐさまその場を離脱。
さすがの用心深さ。
≪雷光≫を持つ右腕がだらりと下がる。
二の腕から鮮血が溢れ出る。
さほど深くはないが、浅いとも言い難い。
回復魔術をかけようとすると猿鬼が邪魔をしてくれる。
それでもそれを避けながら≪療歌≫をかけ、血だけは止める。
地面を見れば僅かに白が赤に染まっている。
舌打ちをして、掌の血を服で拭う。
学校が紅く染まるのは見たくない。
ましてや。
学校が血で汚れるのは。
学校が死で穢れるのは。
絶対に見たくはない。
それが祐一が本気を出さない理由。
学校を傷つけないため。
血を出させないため。
死を出させないため。
「…………手加減して逆に俺が血を流したら意味ねぇな」
久しぶりに自分は馬鹿なんだなぁと思い知った。
そして馬鹿と連動して北川の顔が浮かび、あの域には達していないのでまぁ良いかと思い直した。
「馬鹿は突き通してなんぼだ。最後までやり通すとしますか!」
それはつまり、猿鬼に決して血を流させず、死なせないという意味だ。
≪雷光≫を持つ右手を軽く動かしてみる。
血だけを止めて、完治したわけではないので当然痛みが走る。
振り回したりは出来なくはないが痛いのでやらない事にした。
「とりあえず煙幕煙幕。――――巻き上がれ。≪連風≫」
地面に手を当て、魔術を発動。
祐一を中心に風が渦巻き、大地から上空へと吹き上げる。
それによって大地の雪もまた巻き上がり、真っ白の一メートル先も見えない闇。言わば『白い闇』が発生する。
それが祐一と猿鬼の視界を完全に奪う。
「うわーーっ。何も見えねぇーー! やりすぎたっ!」
またも騒ぎながら走り回る祐一。
白い闇に包まれ姿は見えないが声を頼りに攻撃を仕掛けてくる猿鬼もいたが動き回っている祐一には当たらない。
それは祐一にも同じよう事が言えた。
適当に≪風華≫を撃ち出しているがそもそも殺傷力がない魔術。木の影にでも隠れていれば問題はない。
やがて祐一は静かになったが≪風華≫は絶えず撃ち出し続けている。
効果がないにも関わらず。
絶えず打ち続けている。
存在を主張するかのように。
それが五分ほど続いた後。
≪風華≫によって空気中の雪が吹き飛ばされていった為、視界が戻ってきた。
祐一はすでに走り回っておらず、≪雷光≫を右手に佇んでいた。
白い闇に包まれる前と比べて違うのは地面に多くの石が転がっている程度。
それなのに。
祐一がその顔に浮かべているのは、勝利を確信した不敵な笑み。
「盛り上がりも何もなくて悪いけど――――これで終了だ」
祐一が右手を動かす。
勘のいい――或いは本能的な危機感か――猿鬼が祐一へと襲いかかる。
だが、祐一はそれを避けようとも逃げようともせず。
右手――≪雷光≫を地面に突き刺す。
「――――雷光・陣の弐≪病蜘蛛≫」
雷が走る。
駆け抜ける。
あらゆる場所――――地面、木の上、空中へ。
閃光は一瞬。
一瞬にて全ての猿鬼を捕らえる。
まるで蜘蛛の巣に絡まったかのように身動きが出来ない猿鬼達。
そして病に罹ったかのように弱っていく。
やがて一匹、また一匹と猿鬼が倒れ、そして全ての猿鬼が気絶した。
魔方陣≪病蜘蛛≫
これは捕縛の魔方陣。
≪雷光≫によって地面に陣を描き、その陣内に存在するもの全てを捕縛し、電撃を流す事が出来る。
電撃の威力も≪雷光≫を介して調節出来る。
その魔方陣を描いたのは『白い闇』が発生した時。
祐一の姿が見えなくなり、存在を認識できたのは騒ぎ立てる声と魔術のみ。
そして声が無くなれば魔術のみ。
魔術のみであったならば地面に転がっている石――――『魔術』を施された魔石があればいくらでも誤魔化しがきく。
だから祐一にすぐ横を走り去られても猿鬼達には気付く事が出来なかった。
「魔石で閉じ込められたんだ。多少は魔石で反撃しないとな」
祐一はもう一度、ニッと笑う。
猿鬼達は今はどうにも出来ないので放置して、中心の樹で感じた魔力の場所を探す。
移動中、祐一はしきりに額を撫でていた。
≪病蜘蛛≫を発動させるには陣を描かなければいけない。
『白い闇』によって視界が奪われた中で森を走り回っていたのだ。
「…………頭……しこたまぶつけた」
口に出すと余計に痛みが出てきた気がする。
だからやりたくなかったんだ……まぁ仕方ないんだけど…………。
学校と猿鬼を傷つけない方法で真っ先に浮かんでしまい、他の方法を考えている最中に血を流してしまったのでこれ以上考えていたら余計血が出てしまいそうだった。
だからもうこの案を決行するしかなかったのだ。
考える時間が惜しかったというのも勿論ある。
額をぺちんと叩き、気分を入れ替える。
空を見ればもうかなり紅い。
目的はすぐそこの筈。これならぎりぎり間に合う。
更に五分程歩き。
「おっ、予想通りだったな」
目の前にあるのは――――≪転移≫の魔方陣。
そもそも何もない森に何故魔物がいたのか。
≪空間歪曲≫が起こる際に忍ばせたのか。
≪亜空間≫に予め待機させていたのか。
だが、これだと祐一が感じた魔力の説明が付かない。
だから祐一はこう考える。
あの魔物は≪転移≫によって連れて来られた。
事実、≪転移≫の魔方陣が残っており、それが正答だと語っている。
そして≪転移≫の魔方陣があれば、それを媒体にし、学校に仕掛けられた『空間』の魔術に干渉――破壊が出来る。
猿鬼の出現によりこれを悟り、祐一は笑ったのだ。
などと説明しているうちに『空間』に干渉――破壊の作業を行ってしまった祐一。
祐一は急いで森を駆け、結果を確認しにいく。
この作業は感覚的なものだから実際に結果を確かめるしかない。
すなわち、閉じ込められたままか脱出か。
森を駆け抜け、辿り着く終着。
辺りに茂っていた木々がなくなり、一気に視界が開ける。
雪原が無限のように広がり、そこには何もない。
たった一本の樹も。
雪原を囲う木々も。
あるのは雪華都へ続く道。
道の先には雪華都が。
結果は勿論――――脱出成功。
けれど、脱出してもまだ全てが謎のまま。
誰が『空間』を仕掛けたのか。
何の為にこんな事をするのか。
魔物を呼ぶ理由は何なのか。
あゆが感じたのはこの『空間』なのか。
だとしたら何故気付けたのか。
全て謎のまま。
「―――――これで秋子さんに怒られなくてすむぞぉぉぉ!」
今の祐一にはこんな疑問、欠片もないようだが。
魔物の討伐。
討伐した魔物の処理。
怪我人の収容。
門や外壁の損傷は大した事がなく、日も暮れているので修繕は後日。
様々な指示を出し、ようやく落ち着いた頃には魔物が出現してから三時間が経っていた。
見張りを通常よりも増やして、待機している兵達を除けば皆引き上げている。
それらを除いて門の外にいるのはたった二人。
水瀬秋子。
レイ・サルラ。
待ち人はまだ来ない。
「やっと人が退きましたね」
「そうですね」
「レイさんも下がって休んでいいんですよ?」
「秋子様を残してそんな事出来るはずがありません。
それに…………どうやって他の者達を帰らせたか知っているでしょう」
作業が終わり、引き上げようとする兵達の中、一人だけ動かない秋子。
街のトップたる彼女が残っているのに他の部下達が帰れるはずもなく、右往左往していた。
そこにレイが『自分が共に残るから帰れ』と無理矢理な説得をしたのが今し方。
「レイさんにはご迷惑をかけます」
「これが私の役目ですから」
「優しいですね。サルラさんは」
横から聞こえるはずの返答が真後ろからレイの耳に入る。
いつもの聞きなれた心地よい声ではなく、苛立ちすら覚える最も聞きなくないその声。
レイは勢いよく振り返り、その声の発信元から二歩、三歩距離を取る。
秋子は動じる様子もなく、ゆったりとした動作で振り返り微笑む。
「お待ちしていました。久瀬さん」
「遅れて申し訳ありません。秋子さん」
「こちらこそ急にお呼びしてしまいすいません」
穏やかに話す二人に対して、一人殺伐とした空気を纏うレイ。
秋子への挨拶が済んだ久瀬は次にレイへと振り返る。
近づいて来た彼にレイは牽制を含めて言葉を捻り出す。
「…………貴様。どこから沸いてきた」
「普通に門からですが」
「嘘をつくな。その門から出てきたのなら気付かぬはずがないだろう」
「その西の門とは言ってないでしょう?」
「……どういう事だ?」
「南の門から出て外壁を回って来たんですよ。僕は」
「……何のためにそんな事をする?」
「驚くかと思いまして」
にこりともしないで冗談を言う久瀬にレイは激昂する。
無意識の内に腰の刀へと移動していたその手にも力が篭もる。
「貴様っ。遅れるだけならまだしもそのふざけた態度は何だ!?」
「『遅れるだけならまだしも』。くくっ、あなたは本当に秋子さんにはお優しい」
「なっ――――…………」
「しかし、僕に対しては勘違いしているようですね」
「…………勘違い、だと?」
久瀬は銀縁の眼鏡を一度押さえ、
「僕は水瀬秋子の部下ではありません」
いつもの冷笑を浮かべる。
「僕にはこの呼び出しに応じる必要も協力する義務もないんです。来て上げただけでもありがたく思ってほしいですね」
「――――貴様ぁ!」
――――抜刀。
レイの腰の鞘から抜き取られた刀は吸い込まれるように久瀬の首筋へと移動する。
だが、血飛沫が舞う事はなく、金属同士がぶつかった様な甲高い音が鳴り響く。
久瀬は右の掌でその刃を受け止めていた。
否。掌と刃の間に若干の隙間があり、不可視の力によって受け止めていたのだ。
「それ以上ふざけた事を口にするならば――――斬る」
「……それは剣を抜く前に言う台詞ですよ」
久瀬が呆れてみせる。
「まったく、本当に口より先に手が出ますよね。あなた達は」
その言葉にしばらく睨み続けていたレイだが、やがてふんっと鼻をならし刀を納める。
「挨拶は済みましたか?」
秋子がにっこり笑いながら尋ねる。
「えぇ。滞りなく」
愉しげに肯定する久瀬に対し、否定したかったレイだが話が進まないと判断し嫌々ながら首肯する。
「それでは久瀬さん。あなたには必要も義務もありませんが協力してくれませんか?」
「勿論です。今のはただの冗談ですしね」
「ありがとうございます」
にこにこ笑う秋子と久瀬を睨みながらも何を言わないレイ。
二人とも最初から冗談だという事は分かっている。
分かっているからこそ笑って見守る秋子。
分かっていても突っかかってしまうレイ。
「それで久瀬さんにやってほしい事なんですが――――」
「――――転移を遣った術者、それとどこから転移して来たか、の調査ですね」
「その通りです。お願い出来ますか?」
「まぁ取り合えずやってみましょう」
久瀬は秋子から≪転移≫が行われたと思われる場所を聞き、その場を調査し始める。
二人はそれを眺めていたがその片割れはいまだ怒っていた。
「相変わらず……ふざけた男だ」
「そう言わないでやってください。あれで私達に気を遣ってくれてるんですから」
「気を遣う? あの男が、ですか?」
理解不能。といった表情のレイに秋子が説明する。
「久瀬さんは世間では嫌われ者――いえ、『敵』と言っても過言ではありません」
「事実、そうですからね」
「私としては否定したいところですが……今は置いておきましょう。
ともかく、そんな彼に協力してもらったらその世間はどう思うでしょうね?」
「人間への裏切り。背徳の共謀。魔との取り引き。と言ったところでしょうか」
「…………すらすら出ますね。悪い方向ばかり」
「当然です。まぁこれは秋子様以外だったら、ですが。秋子様ならこうは思われませんよ。絶対に」
「しかし、良くは思われないですよね?」
「……でしょうね」
「だから久瀬さんは待っていてくれたんです。人目が少なくなるこの時間まで」
「……買い被りでは?」
「それに南の門から来るという遠回りまでしてくれました」
「………………」
レイは信じられません。と顔を逸らし呟く。
「でも、否定は出来ないでしょう?」
秋子の言葉に沈黙する事しか出来ないレイ。
レイには否定出来ない。
久瀬と同様の行動を取っている彼女には。
『遅れるだけならまだしも』
嫌っている久瀬が遅れてくるのを許容するなど普段のレイならありえない。
それを許したのはそれによって人目がなくなったから。
久瀬と秋子の対談を他人に見せずにすんだから。
レイが部下達を無理矢理説得し、引き上げさせたのと同様に久瀬はわざと遅れてやって来た。
彼と彼女の想いは同じ。
水瀬秋子に対する優しさ。
「――――もし……」
沈黙の後、重々しく口を開くレイ。
「もし、それが仮に本当だとしたら――――」
顔を、眼を秋子へと真っ直ぐに向ける。
「――――何故、秋子様は奴を呼んだのですか?」
久瀬への拒絶ではなく、嫌悪ではなく、ただ純粋なる疑問。
「そんな想いを知っているならば何故呼ぶのです?
あいつの気持ちを知るのならば呼ばないのが一番ではないのですか?」
たとえ久瀬が秋子達よりも早く正答を出せるとしても。
それでも秋子達だけでも真実は導き出せるはずだから。
それにもし頼むとしても、とレイは更に続ける。
「もっと人目のない場所に呼ぶべきではないのでしょうか?」
レイの疑問に秋子はすぐには答えず、だけど表情はいつもの穏やかなまま。
やがて彼女はくすりと笑う。
「言ったでしょう。私は久瀬さんが好きなんです」
彼女は笑顔のまま答えていく。
「彼と友人である事を、協力し合う事を、信頼し合える事を私は誇りに思っています」
秋子が微笑むのは大切な想いを知っているから。
「そう思っている私が彼との関わりを隠すのは彼への裏切りだと思います」
たとえそれが久瀬の想いを無下にする事になっても。
譲れない秋子の想い。
そして秋子にはもう一つ、思惑があった。
世間から信頼の厚い『蒼き絶対者』――――彼女と行動を共にする事で久瀬一族の評価を改善させようとしていた。
だが、これはおそらく効果が薄い。
これまで『背徳』し続けてきた一族への畏怖と排他はそう簡単に取り除けるものではない。
それどころか先の会話のように秋子までも悪評に染まる可能性がある。
それでも秋子は気になどしない。
自身の誇りのもとに行動する。
二人に沈黙が落ち、作業を続ける久瀬をただ眺める。
彼は片膝を付き、右手を地面に触れさせて呪文を唱えている。
その呪文の効果なのか、何もなかった地面が淡く光り、魔方陣が浮かび上がる。
それは門前に現れた魔物を送る時に遣われた≪転移≫の魔方陣。
作業に集中していて無防備な久瀬。
自分に背を向けている今なら容易く斬れる。レイの頭にふとそんな考えがよぎるが、手に、体に力が入らない。
「――――申し訳ありませんが、私にはあいつを信頼する事など出来ません」
視線は前を向いたまま、ぽつりとレイが言った。
秋子も同様に視線は動かさない。
「別に強要する気などありません。ですが、そんな事はないでしょう? だって――――」
一旦言葉を区切り、秋子は視線を左に――――レイへと移し、悪戯っ子のような幼い笑顔を浮かべる。
「――――お二人は友人じゃないですか」
レイはその言葉を聞いて嫌そうに表情を歪める。事実、嫌なのだろう。
「最悪な冗談は止めて下さい」
「あらあら。でも、付き合いは私よりもずっと深いですよね?」
「付き合いが深いのは私の弟子であって私自身ではありません」
キッパリと否定するレイに秋子は苦笑する。
試しに言ってみただけなのだが、ここまで拒絶されるとは思っていなかったらしい。
秋子は視線を戻し、久瀬を見る。彼は作業が終わったのか二人の元へ近づいてきていた。
労いの言葉をかけるより先に久瀬が口を開く。
「ずいぶん楽しそうでしたね。人に仕事を押し付けておいて」
「あらあら。すいません」
「ふんっ。そんな事はどうでも良いだろう。それで? 何か分かったのか?」
「そうですね……。結論から先に言うと――――何も分かりませんでした」
「そうですか……」
「時間が経ちすぎた、といったところでしょうか。痕跡がほとんど消えていました」
時間が経っているのは貴様のせいだろう。と普段のレイなら言うのだが遅くなった理由を知ってしまっては文句もつけられない。
「それでどうします?」
「どう、とは?」
「これの調査ですよ」
「久瀬さんにお任せします」
「……いいんですか? 今回はたまたま人目に付きませんでしたがこれからも僕が調査するとなると必ず誰かに見られますよ」
「そうですね」
「『背徳者』と手を組むという事ですよ?」
「だからなんです?」
「……いえ、なんでもありません。あなたに聞くだけ野暮でしたね」
秋子はふふっと微笑む。
「サルラさんもそれでいいんですか?」
「良い訳がないだろう」
レイはぎろりと睨む。
「だが、この一件はすでに貴様に任せている。なら最後まできっちりとやるのが筋だろうが」
「なるほど。ご尤もで」
レイの言葉に肩を竦ませながらも久瀬には何処か楽しそうな雰囲気があった。
久瀬は秋子からレイへと移した視線を再度、秋子へと戻す。
「調査方法は僕の自由にしてもよろしいのでしょうか?」
「構いません。あ、けれど一つだけお願いが」
「なんです?」
「次からはちゃんと本当の事を報告してくださいね」
にっこりと全てを見透かした笑顔を見せられ、久瀬は苦笑しながらわかりました。と答え、一礼する。
「それでは僕はこの辺で失礼します」
言葉が終わると同時に彼は淡い光に包まれ、その姿を消した。
≪転移≫によって移動したのだ。
光が消え、五秒ほど。
「……あの…………秋子様?」
「なんですか?」
「先程の『本当の報告』とは……もしかして…………」
「レイさんは素直な人ですよね」
秋子にくすくす笑われて、レイは恥ずかしさと怒りで頬を紅潮させる。
彼女は久瀬の言う事を鵜呑みした自分自身を叱咤する。
あれは久瀬鷹空。
信頼など出来ない。
信用など出来ない。
あれはおそらく久瀬一族でも最大の『背徳者』なのだから。
レイは顔の赤みが消えてから、ゆったりと刀を抜く。
唯一の報告にすら嘘をつく久瀬。
久瀬の言葉を疑わなかった自分自身。
その二つの怒りを刀に籠める。
「……秋子様。今度あれと会った時、斬っても良いですか?」
「駄目です」
そうですか。と彼女は無理矢理、刀と怒りを鞘に納める。
鍔と鞘がぶつかり合う音が大きく鳴り響いた。
魔術・技解説
『風華』……………殺傷力はなくただ単に風を撃ち出す術。だが、その風力は簡単に人を吹き飛ばせる。
一直線にしか進まないため、見えない事を除けば避けやすくもある。
『連風』……………術者を中心に風が巻き上がる。竜巻の小型版の様なもの。
近づかなければ巻き込まれる事はない。
『病蜘蛛』…………≪雷光≫を使用する第二の魔方陣。
捕縛が主だが、罠にも応用出来る。
ショック死するくらい電力を上げる事も出来るので注意が必要。
『魔道具』…………魔剣や魔杖。≪転移≫の魔術が施されたもの等。その他、様々な道具がある。
それぞれに何らかの力が込められており、用途は様々。
〜あとがき〜
≪策師≫は出て来るのだろうか……(何
どうも。海月です。
今回はさほど遅くならなかったと思います。
これからもこのくらい……いや、これ以上のペースで書けたらなぁ……(希望)。
さてさて祐一はバトって脱出劇をやったわけなんですが…………緊迫感ねぇーっ!!
要所要所でボケてたと言うか、最初っから最後までボケてたと言うか……。
とにかく彼は遊んでます。
だって場所が『学校』ですし。
学校は遊び場ですから(勉強は?)。
そんな想いが祐一の根底にあったわけです。
話の中に入れ込めなかったのが残念です。力量不足です。精進します。
あ、ちなみに祐一が水瀬家に帰った時、当然秋子さんは家にはいません。
魔物襲撃がありましたから。
祐一、無駄に心配しすぎでした(笑
そして秋子さん側はというと。
バトルは省略(爆
三人のご関係をお楽しみ下さいってところですね。
秋子さんは理解者。
久瀬は嫌われ者の捻くれ者。
レイは沸点低すぎ。
秋子さん抜きでこの二人いつか会わせてぇ(笑
斬った張ったの挨拶は会えば日常茶飯事ですがね、この二人。
それではまたまた次回にて。それではっ。
海月さんから第十五話を頂きました!
祐一強いですね〜相手が弱かったのかもしれませんがあの数相手に殺さずを貫くとは。
と、それよりも(ぇ)久瀬とレイさんの掛け合いが気に入りました。
犬猿の仲なのに通じているものもあるという……イイ!
と言っても秋子さんが間にいるからもってるようなものみたいですけど。
けどこの先、上手い事いったらいいコンビになりそうな気もしますね。
感想などは作者さんの元気の源です。続きが早く読みたい人は掲示板へ!
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