第6話 やがて来る日のために









 それは、梅雨が近付いてきたある日のホームルームで。

「さて、諸君!」

 力一杯教卓を叩きながら、北川君がクラス全体を見回しながら言葉を続ける。

「いよいよこの季節がやってきた。刻一刻と受験という強敵が迫り来る中、鬱屈としたものを溜め込んでいることだと思う。だからこそ! この機会にそれを思い切り発散してもらいたい!」

 妙に気合の入った語りをする彼の横で、何故か腕を組んだ体勢で頷いている相沢君。

 そんな彼らの背後の黒板には、たった3文字の単語がデカデカと書かれていた。

 体育祭。

 この学校では梅雨に入るか入らないかっていうこの時期に体育祭をやるんだよね。まあそこまで本格的じゃなくて、どっちかって言ったら球技大会って表現した方が適切だとは思うんだけど。

 で、開催を目前に控えたことで実行委員に立候補した相沢君たちがホームルームを仕切ってるわけなんだけど……

「……何であんなに一生懸命かなぁ」

 思わず呟いてしまう。

 ずっと運動が苦手なわたしとしては、正直この体育祭っていうものにロクな思い出がない。

 高校に入るまで徒競走はずっとビリだったし、綱引きやってる時に引きずられることなんてよくある話。

 そういえば玉入れでさえまともに入れられなかったような気がする……

 まあとにかく、わたしにとっては憂鬱極まりない催し物でしかないんだ。だから3年生になるのは待ち遠しかったんだけどなぁ。

「結局今年も体育祭やることになるんだね……」

「あの2人に主導権を渡した段階でこうなることは予想できてたのよね。そもそも実行委員なんて選出しなければよかったんだけど」

 壁にもたれながら、ため息混じりに美坂さんが呟く。学級委員長としては複雑な心境なんだろうね。

 受験を控えている3年生は、体育祭も文化祭も任意で参加するっていうことになってるんだけど、ウチのクラスみたいに積極的な人がいると、

「――そんなわけで、全校生徒が入り乱れての戦いで俺たちの力を見せ付けようじゃないか!」

 こんな風になるわけです。しかも妙にウチのクラスの人たちはノリがいいから、ほとんど全員が賛同の声を上げてるし……

「まあ、体育祭に参加するのはいいとして、どーしてこんなに気合が入ってるのか分からないよ……」

「あの2人の場合、こういうお祭り企画はもってこいなんでしょ。この分だと文化祭も何かやらかしてくれそうよね」

 うーん、確かに。

 きっと文化祭の実行委員にも立候補するんだろうね、この2人。文化祭は結構楽しく参加できるからいいんだけど……でも問題は、文化祭が秋にあるってことかなぁ。

 果たして受験が迫ってきてるのにやるんだろうか。相沢君たちだったらそんなことお構いなしにやりそうではあるけど。

「うー、でもやっぱり体育祭は嫌だなぁ」

「そういえばせっかちゃんは運動嫌いなんだよね」

「うん……いっそのこと、仮病でも使って休んじゃおうか」

 後ろの席に座ってる水瀬さんの言葉に、そんな風に切り返した時だった。

「おいこら、ちゃんと聞いてるかそこ」

「う、うん、聞いてますよ」

「じゃあ、せっかはどっちに出るよ? 他のやつらの希望はだいたい分かったんだが」

 黒板を指差しながらの相沢君の問いかけ。

 視線をちょっと横にずらして黒板を見ると、いつの間にか大きく書かれた「体育祭」の文字は消されていて、行なわれる予定の種目が並べられていた。

 男子はサッカーとバスケ。女子はバレーとソフトボール。……うーん、まさしく球技大会だね。

「あー、うー……」

「ちなみに今ならどっちでも入れそうな感じだ。いざとなったら俺と北川で勝てそうなメンツに振り分けることになるけど」

 すでに不参加っていう選択肢はないみたい。ホント、何でこのクラスは妙に団結力が高いのか……

「……じゃあバレーにしときます」

「あ、わたしもー」

「了解。香里もこっちにしておくか?」

「そうね、どうせどっちでもいいと思ってたし」

「いくら美坂でも今の言葉はいただけないぞ? 確かにどちらも球技だが、そもそも」

「はいはい、くだらない講釈はいいから、さっさと話進めなさい。それとももうやることないのかしら?」

 バッサリと北川君のセリフを切り捨てて先を促す美坂さん。

 そういう姿が凛々しいと思うんだけど、もうちょっと優しく言ってあげてもいいんじゃないかな……なんか北川君、向こうの方で寂しそうにしてるし。

 しかも当人は相沢君とチーム分けの話に入ってるから全然気にしてないし。まあ、お互いにああいうのがポーズだっていうのが分かってるからできることなんだろうけど。

「ねね、せっかちゃん。同じチームになったら頑張ろうね」

「うん……でも、わたしは足手まといにしかならないと思うよ」

「大丈夫だよ。一緒に頑張ろうね。ふぁいと、だよ」

 グッ、とニッコリ笑いながら可愛らしいガッツポーズをする水瀬さんにとりあえず頷いてはみたものの、やっぱりどこか憂鬱な気持ちはなくなってくれなくて。

「このまま何もなかったかのように時間が通り過ぎてくれればなぁ……」

 なんてことを真剣に考えてしまうわたしだった。





「よし、それじゃあ準備はできてるな」

「――何で」

 こんなことになってるんだろう。や、しっかりと体操着に着替えてから言うのもどうかとは思うんだけど。

「どうしたせっか。ボーッとしてると危ないぞ。てゆーかお前の特訓なわけなんだから、もうちょっとシャキッとしろシャキッと」

「シャキッ」

「……口で言われてもな。しかも名雪に言ってないだろうが」

「えー、でもわたしも一緒に練習するつもりだったんだけど」

「ふむ、熱心なのはいいことだな。じゃあ一緒にビシバシしごいてやるから覚悟しろよ」

「分かったよ祐一」

「コートの中ではコーチと呼べ、コーチと」

「はーい、コーチ」

 どーしてそんなにノリノリなの、水瀬さん……あ、向こうで美坂さんが盛大にため息ついてる。

 確かにわたしが運動苦手なのはもう相沢君たちみんなが知ってることだし、体育祭までで少しでもそれを改善しようと頑張ってくれるのは嬉しいんだけど。

「ほらほら、せっかちゃんも返事しないと」

「え、あ、はい」

「何だか頼りない返事だな……まあいいか。時間もないことだし始めるぞ」

 そう言って、相沢君は左手に持っていたバレーボールを放り上げる。

 結局わたしと水瀬さん、そして美坂さんは見事にバレーをやることに決まったわけなんだけど、急遽担任の先生の頼み込んで放課後の体育館をちょこっとだけ使わせてもらうことになったんだ。

 バスケ部とかバレー部とかも練習あるだろうに、こういう時だけ快く使わせてくれるのはどうなんだろう……みんなお祭り好きな体質でもしてるんだろうか。

 それにしても、直前になって大慌てで練習してもそんなに変わらないと思うんだけどなぁ。付け焼き刃っていうやつ?

「せっかちゃん、前、前」

「あ、うん」

 水瀬さんに促されて相沢君の方に視線を戻す。

 でも彼は、そんなわたしたちには構わずに放り上げたボールを目で追いかけて、タイミングよく振り上げた右手でサーブを打ってきた。

「――って、ちょっと待ってよっ」

 思ってた以上の勢いで飛んできたボールを見て、慌ててその場から離れる。な、何かね、今、物凄い勢いで落ちてきたよ?

「何で避けるんだよ」

「だ、だってあんな、ギューンて」

「あれくらい普通だろ。なあ」

「んー、まあオレたちは授業中にやる時でもあんなもんだが……相沢、お前手加減って単語知ってるか?」

「そうね。こっちは女の子なんだし、男子相手にしてる時と同じようにされたら受けられるものも受けられないわ」

 相沢君に次のボールを渡しながら北川君が、続いてわたしや水瀬さんと同じように体操着を着て、上からジャージを羽織ってこっちを見ていた美坂さんがフォローしてくれた。

 ……こういうのをフォローって言うかどうかは分からないけどね。

「む、しかしだな北川に香里。獅子は自分の子すら千尋の谷に突き落とすわけでだな」

「いいから少しは手加減しなさい。本番前にケガでもしたら笑えないでしょ?」

「あー、それもそうだな。じゃあ多少軽めでいくか」

 言って、手渡されたボールをクルクルと回しながら斜め上に視線を向ける相沢君。

 それも少しの間で、すぐにわたしたちの方に向き直ると、

「んじゃ、最初は軽くいくけど、だんだん強くしていくからな」

「うん、分かったよコーチ」

「せっかは?」

「う、うん……」

 正直、気は進まないんだけど。

 でもそんなわたしの曖昧な返事でも彼は満足だったのか、再びボールを放り上げながら、

「それじゃ、いくぞっ」

 その言葉を皮切りに、わたしたち――正確にはわたしの特訓が始まった。……のは、よかったんだけどねぇ。

 時計を見てないからどれくらい時間が経ったかは分からない。でも周りに転がってるボールの数から考えるとそれなりにやってたんじゃないかとは思う。

 ええもう、自分でもこれだけ動ける体力があったんだなー、とかどーでもいいところで感心してしまいましたよ。もうバテて1ミリも動きたくないけど。

「……あー、そのなんだ。大丈夫か、せっか」

 コートの真ん中に寝転んでしまったわたしのことを心配してくれたのか、相沢君がわざわざ顔を覗き込めるところまでやってきて声をかけてくれた。

 だけどそれに答えることすらすでに億劫だったりして、どうしたらいいものやら。

「初日からやりすぎたか、もしかして」

「うーん、もうちょっとわたしと交互にやればよかったんじゃないかな。それだったら少しは途中でせっかちゃんも休めたわけだし」

「こういうところは考えなしよね、相沢君」

「ま、どっちにしろ霧崎さんがその様子じゃ、今日はここまでだな」

 聞こえてきた北川君の声に、頭をコテンと横に倒すと美坂さんと協力してせっせと散らばったボールを拾い集めている彼の姿が見えた。

「うー、ゴメンね。せっかく付き合ってくれてたのに」

「気にしなくていいわよ。原因は考えなしにポンポンサーブし続けた相沢君にあるんだから」

「おいおい、全部俺のせい?」

「基本的にはね。まあ止めなかったあたしたちも悪いんだけど」

「それこそ気にしなくていいような……」

 ようやく全身を覆っていた脱力感がなくなってきて、体を起こすことができた。立ち上がったらまだフラフラしてたから、水瀬さんに支えてもらったんだけど。

「ホントに大丈夫?」

「うん、たぶん……明日はきっと筋肉通だろうなー」

「そりゃ普段から運動してないからだな。見ろ、俺と名雪を」

「2人はまあ、遅刻がかかってるからねぇ」

 それはそれは毎朝必死だもんね、2人とも。たまに早く来たりしてみんなを驚かせてもいるんだけど。

「ま、とにかく。相沢君は責任もって霧崎さんのことを家まで送り届けるように」

「りょーかいです、委員長どの」

「……少しは反省しなさいよ」

 思わず頭を抱えてしまう美坂さんにちょっとだけ同情。

 てゆーか、もしかしてこの分だと体育祭までの間、ずっとこんなペースで練習するんだろうか。

 今日はレシーブの練習しかできなかったもんなぁ……まあ身長の低いわたしがアタックなんてする機会はないだろうから、せいぜいサーブが届くようにするくらいかな。

 ……いやまあ、今日のでちゃんとレシーブができるようになったかっていうのはまた別問題なんだけど。

 だって、相沢君のサーブはほとんど取れなかったし……わたしが避けようとしてるのが悪いのかもしれないけどね。もう体に染み付いちゃってる動きだから、なかなか直すの難しいんじゃないかなー、とも思う。

 何にせよ、これから体育祭が終わるまでは憂鬱な時間が続きそうだな、なんてことを水瀬さんに支えられたまま考えるのでした。





 あれよあれよと言う間に体育祭当日。

 案の定と言うか当然の帰結と言うか、連日の練習が祟ってひどい筋肉痛だったりする。

「うー……やっぱり毎日無理しすぎたかな」

 それでも最初に練習した次の日に比べればよっぽどマシなんだけどね。でも体は慣れてくれなかったみたいで……うーん、日常的に運動することを考えた方がいいかもしれない。

「せっかちゃん、辛かったら無理しなくても大丈夫だよ?」

「したくてもできないかも。それに、わたしがいなくても全然問題なさそうだもんねぇ」

 水瀬さんの言葉に苦笑しながら答える。

 ――そう、ここまでの戦果がそのことを物語ってるんだ。

 動けないことはないけど、筋肉痛のせいで派手には動けないわたしを抱えながらもウチのクラスのバレーボールチームその1は結構勝ててたりするんだよね。

 自分抜きでも勝てるっていうのは少し悲しいものがあるんだけど、まあしょうがないかな、と。

 そもそも、何だってこんなになるまで放課後に練習してたんだろう……確かに最後の方は体動かすのがちょっと楽しくなってきてたけど。

「ま、とにかくあと1試合やってみてからってところよね」

「そうだねー。次も勝てれば決勝だっけ?」

 そーなんだ。ウチのチームはギリギリの接戦だったりもしたけど、最後の試合に勝てれば決勝、負ければそこまでっていう、なんとも絶妙なポジションにあったりする。

 果たしてこんな位置にあるのはわたしが足手まといだからなのか、それとも動いてないからなのか……深く考えたら負けかな。

「霧崎さんとしては、次で負けて終わっちゃいたいところかしら?」

「あはははは、ノーコメントってことで」

 こういう返事は肯定に等しいっていうのは分かってるけど、そう言わずにはいられないよ。何せ相沢君たちに知られたら色々うるさいだろうし。

「……そういえば、さっきバスケの方がやたらと賑やかだったみたいだけど」

「ああ、相沢君たちうちのクラスが唯一出てる他の3年のクラスと試合だったからでしょ。結構いい試合だったみたいよ」

「へー。他の3年って言うと……ああ、久瀬君のところだっけ」

 あの人も真面目と言うか何と言うか。

 せっかくの行事なんだから、参加せずに何がこの学校の生徒か――なんてホームルームの時に言ってたらしいし。

 そういえば彼もバスケに出るとかいう話を聞いたような……って、

「あれ? でもさっき久瀬君、制服着てたけど」

「そういえばそうだね。見学かな?」

「噂だけどね、彼は出場してないみたいよ。あくまで指示を出すだけで」

「はー、そうなんだ」

 ああいうこと言っといてそれはないんじゃないかなぁ。せめて自分で言ったことの責任くらいは持った方がいいと思うんだけど。

「まあ彼の場合は体育祭全体を見て回るっていう目的の方が強いのかもね。生徒会長として」

 だから1つの競技に参加してないんじゃないかしら。肩を竦めながらの美坂さんの言葉に、何となく納得してしまうわたしがいるのは確かだった。

 生徒会長って何かと大変そうだもんねぇ。わたしたちが練習終わらせて帰ろうかって時間になっても生徒会室の明かりが点いてる時あったし。

「――っと。そろそろ試合ね。行きましょうか」

「うん。ほら、せっかちゃんも」

「あ、はいはい」

 よーし、とりあえずここで一段落するし、ちょっとは頑張ってみましょうか。せっかく今日に向けて練習もしたことだしね。






後書き

えーと、お久しぶりです。作者の迷宮紫水です。こんにちは。
えらく長いこと間を開けてしまいましたが、「何気ない日常の中で」第6話です。
約8ヶ月ぶり……自分でもこんなに間を開けてしまうとは思っておりませんでした(汗)
もう忘れられてるかもしれませんね……これぞまさに自業自得(笑……えない)

今回からは体育祭編です。
と言ったところで次回には終わる予定なんですけど。
でも長くなったりするんで現段階では未知数ってことで。
そんなわけで、ご意見ご感想、叱咤激励その他「早く続き書いてー」みたいなのがありましたら
こちらまで。


迷宮紫水さんから第6話を頂きました。

なんと今回は体育祭編でした。

一瞬もう秋!と驚いたりましたが、どうやら梅雨時期のようで。

それにしても普通?の体育祭は別としてこのような球技大会はマサU個人としてはいい思い出が無いです……

よってせっかちゃんの気持ちが良くわかるなぁ(笑)

さあ、続きはどうなるのでしょうか。

 

感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!

 

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