何気ない日常の中で
第3話 断水の日
「たっだいまー」
後ろ手に玄関のドアを閉めながら家の中に声をかける。
いつもだったらすぐにお母さんの返事をしてくるんだけど、今日はそれがなかった。
そのことにちょっと違和感を感じながら、そういえば学生時代からの友達と出かけるとか今朝いきなり言われてちょっと慌てたことを思い出して1人納得。
もーちょっと前々から教えておいてほしかったなぁ、とか考えながらひとまずカバンを置いて普段着に着替るために部屋に向かう。今日は特にもうどこかに行く予定もないし、テキトーな服でいいかな。
「……ま、出かけるにしてもそこまで着飾る必要はないけどさ」
そもそも豪華な服なんて持ってないしね。上流階級な家庭じゃないんだから。
ということで目に付いた薄い黄色のブラウスとジーパンを身に着けて、手洗いうがいをするために洗面所へ。
風邪の予防には細かいところから始めましょうってことですっかり習慣付けられてしまった。今じゃこれが当然の生活だから何も文句はないけどね。おかげであんまり風邪も引かないし。
いつもと同じに蛇口を捻って水が出てくるのを待つ。と言ってもそんなに時間がかかるわけじゃないんだけど――と思ってたのに、どういうわけかちっとも水が出てくる気配がない。
おかしいな、と思ってしっかりと蛇口を締めてからもう一度回してみるけどやっぱり出てこない。
「もしかして壊れてる?」
ペシペシと叩きながらそんなことを呟いてみるけど、まさかこんなことで直るわけもなく。
しょうがないからキッチンの方で済ませようと思ってそっちに向かってみたけど、そっちでも同じようなことにしかならなかった。
「はてさて、どうしたもんだろ」
ちょこっと途方に暮れた時、わたしの視界に入ってきたのはリビングの壁にかけられているカレンダー。その今日の日付のところに何かマークが付けられていることに気付いて、不意にあることを思い出した。
「……そういえば何日か前にお母さんに言われてたんだっけ。今日が断水するって」
何でもこの近くで急な水道工事があるらしくっていきなりそんなことを言われた覚えがある。今朝言われたことのインパクトが強すぎてすっかり忘れてたけど。
確かその時工事がいつ終わるのかとか書いてある紙をもらってた気がするんだけど……あ、あったあった。いつも通り冷蔵庫にマグネットで留めてあるや。
「えーっと……うわ、結構広い範囲で断水してるんだなぁ。学校はそんなことなかったみたいだけど」
まあ学校の水道が止まってたらそれこそ一騒ぎあっただろう。幸い――と言っていいかどうかは分からないけど、わたしの周りには騒がしい人がいることだし。
ホントに相沢君や北川君たちと一緒にいると飽きないよ。頼んでもいないのに毎日何かしてるもんなぁ。こういうのも芸人魂って言うんだろか。
「んで、終わる時間は……って、結構遅くまでやるの? 夕飯どうしようかな」
そこまで大騒ぎするほどの時間まで続くわけじゃないけど、工事が終わってから夕飯を作るとしたらいつもより1時間以上は遅くなるし。どっかで買ってこようかな、お母さんは遅くなるかもって言ってたから。
……もしかして、こうなるのが分かってたから今日出かけたのかな? だとしたらちょっと許せない気が。
「でも水くらい溜めておいてくれてるよねぇ」
こんな時にはだいたい湯船に水を張っておくのが基本だよね。と確認しに行ってみたところ、そこは一応考えていてくれたのかご丁寧にも満タンに水が溜まっていた。
いくらなんでもこれはやりすぎだと思ったけど、まあこれで当面の問題になっていた手洗いうがいができたから文句は言わないことにする。もうちょっと程度ってものを知ってもらいたいけどね……
「さて、と。……そうすると次の問題はお風呂かぁ」
さすがにこんなに水が張ってあったらお湯を溜めることなんかできない。それに水道工事が終わったばっかりだと汚れた水が出てくることもあるし、そうすると今日はお風呂なしですか?
「体育もあったし、汗を流しておきたいんだけど……」
まあシャワーだけでもいいんだけど、それだとちょっと物足りないしね。やっぱり湯船に浸かってナンボだと思うし。
それにしても体育の時の水瀬さんは凄かったな。やっぱり陸上部ってだけあって速い速い。普段がどこかのんびりした感じのある彼女だからなおさら、ね。
美坂さんも結構運動能力あるみたいだし、何だかわたしだけ置いてけぼりにされた感じ。どーせ運動神経切れてますよぅ。
あんまり体も大きくないからスタミナもそんなにないし、ホント体育だけはなくなってほしいよ。
「……って、そんなことはどうでもよくて」
お風呂、どうしようかなぁ。そう思った瞬間唐突に思い出したものがあった。昔はたまーにお母さんに連れられて行ってたっけ。
「でもまだあるのかな、あの銭湯」
呟いてその頃のことを思い出す。
ドアを開けた瞬間に目の前に姿を見せたでっかい湯船には驚いたっけ。あんまりはしゃぎすぎてお母さんに注意されたような気もするし。
……うん、何だか思い出してたら行きたくなってきちゃったな。ちょうどいい機会だし、夕飯の調達がてらにでもまだ残ってるか確かめてこようっと。
「そういえばちっちゃなシャンプーとか残ってたかな……」
ホントに些細なことだけど、普段とちょっと違ったバスタイムを過ごせるかもって思っただけでちょっと心が弾むのが分かった。
我ながら子供っぽいかな、なんて思ったりしたけど妙な高揚感が消えることはないまま洗面所での探索は始まった。
果たして銭湯は今でも無事に営業しているみたいで、とりあえず出鼻を挫かれなくて一安心と言ったところ。現在わたしは商店街で必要なものをそろえるべく雑貨屋さんを目指している真っ最中。
「せめて試供品でも残ってればよかったんだけどな。何もないとは思わなかったよ」
しばらく探してみたけど結局見つかったのは旅行の時に持っていくための小さな石鹸だけ。
これくらいなら銭湯にもあるだろうし、まあシャンプーとかもきっとあるとは思うけど念には念を入れて小さな容器を買ってウチにあるやつからちょっと詰め替えて持っていこうと思ったわけで。
「あとは……夕飯どうしようかなぁ」
自慢じゃないけどわたしはあんまり料理が得意じゃない。さすがに洗剤でお米を洗ったりはしないけど、どうにもうまく味付けができなかったりで今までにうまくいった例がない。
まあこういうのは慣れが物を言うんだろうけど、どうにもそういうのが向かないのかあんまりやる気にならないんだよね。できた方がいいのは分かってるんだけど。
「だからってコンビニでお弁当買って帰るのもちょっと寂しいし。奮発してお弁当屋さんのにしようかな」
ブツブツと口の中で呟きながら商店街を歩く。……もしかして周りから今のわたしを見たら結構不気味だったりするかな、って思って慌てて口を閉じたその時、
「お、せっかじゃないか」
「ホントだ。おーい、せっかちゃーん」
急に聞こえてきたわたしを呼ぶ声に振り返ると、まだ学校帰りなのか制服のままの相沢君と水瀬さんの姿があった。
てゆーか水瀬さん、そんなにブンブン手を振らないでほしいよ。恥ずかしい……
相沢君も似たような心境なのか、苦笑しながらそんな水瀬さんと一緒にこっちへと近付いてくる。
「よう、どうしたんだこんなところで」
「こんなところって……商店街に用事があったんだ。ちょっと買い物しないといけなくなったから」
「何買いに来たの?」
「あ、えっとね……」
とりあえずここに来ることになった事情を簡単に説明する。さすがに銭湯に行くってだけで浮かれてる、なんてことまでは話さなかったけど。
「あー、そういえば今朝秋子さんがそんなこと言ってた気がするな」
「そうなの? わたし聞いてないけど」
「お前はまだ半分寝てたんだろ、いつものごとく」
「うにゅ、そうかも」
ちょっぴり申し訳なさそうな表情を浮かべる水瀬さん。
でも相沢君たちの家の方まで工事の影響を受けてるとは思わなかったな。ウチからだと結構離れてる気がしたんだけど、まあ水道工事だったらそんなものなのかな。
「だけど家に帰っても断水してるんじゃあシャワーも浴びれないな。秋子さんだから飲み水とかそういうのはちゃんと確保してるだろうけど」
「相沢君、体育の時大活躍だったもんねぇ」
「そゆこと言うのはやめれ。別にあれくらい誰だってできるさ」
パタパタと手を振りながら言う。気のせいかほんの少しだけ頬が赤い気がするのはやっぱり照れてるのかな?
でもあの時の相沢君は普通に凄かったと思う。
女子は陸上だったから水瀬さんたち陸上部のダントツだったけど、男子はサッカーをやってたんだよね。
サッカーコートと陸上のトラックはちょっと離れてたから遠目でしか確認できなかったけど、何か北川君とコンビを組んでガンガン相手に攻め込んでたような気がする。
もちろんサッカー部の人もいたんだろうけどそれすらも簡単に抜いてたみたいだし、もしかしてこの2人って凄い人なんじゃないかなって思ったもん。普段はよく分からないことで盛り上がってたりするけどね。
「わたしもせっかちゃんの言う通りだと思うよ。祐一カッコよかったもんねー」
「え、えーと……」
あの、そこでどうしてわたしに同意を求めるのかな。まあ否定はできないんだけど、こんなことを面と向かって言うのは恥ずかしいよぅ。
「ほらほら、せっかちゃんもカッコよかったって」
「だからそうやって持ち上げるなって。ハズいから」
ピシッと水瀬さんの頭にチョップする相沢君。だけど彼女はあんまり嫌そうにはしていなかった。きっとこれも2人のコミュニケーションなんだね。
「でも、あんなに運動できるのに部活入ってないんだ相沢君」
「ああ、今さら入るような時期でもないし、それに何より面倒だからな。部活に入るんだったらこうやって放課後ブラブラしてる方を選ぶさ」
笑いながらそんなことを言う。確かにその方が相沢君らしいと言うか何と言うか……
「にしても銭湯か。そういやしばらく行った記憶がないな」
「え、祐一って銭湯行ったことあるの?」
「ああ、向こうに住んでた頃に今のせっかと似たようなことになった時に家族みんなでな。つっても結構前――たぶん小学生くらいだったと思うけど」
「何だか羨ましいなー。わたし、大きなお風呂入ったことあるのって旅行行った時くらいだよ」
「まあ家風呂でも十分な広さがあるからな、最近は」
何でか分からないけど1人頷く相沢君。別に彼の言葉を否定するつもりなんかない、と言うかできないけどね。ウチのお風呂も何だかんだで結構広いし。……単にわたしの身長が低いせいで広く感じるだけかもしれないけどさ。
「……よし」
唐突に相沢君がパンと手を叩いたもんだから何事かとビックリしちゃった。
そのまま彼の方に顔を向けると何か思いついたらしく、まるで子供みたいに目をキラキラさせながらもっと驚くことを口にしてきた。
「俺たちも銭湯行くか、名雪」
「え?」
「だってウチも断水してるんだろ? それだったら満足に汗も流せないじゃないか」
「でも夜には終わるんでしょ? だったら別に」
「名雪は銭湯行ってみたくないのか?」
「そりゃ行ってみたいけど……うー」
「ま、結局は秋子さんに話してからになるけどな。あの人のことだから問題ないだろ」
なんて言ってまたまた1人でウンウンと頷いてる相沢君の横で水瀬さんは相変わらずうーうー唸って悩んでる様子。
でもこんな時の相沢君を止めるのなんて美坂さんくらいしかできないんじゃないかなぁ。普段でも北川君と一緒になって暴走しかけるのを諌めてたりするし。
「つーわけで、とりあえずせっかもウチ来いよ」
「……へ?」
どこか他人事のように2人の会話を聞いてたわたしに、いきなり相沢君がそんなことを言ってきた。
「何で?」
「いや、そんなにポカーンとされながら訊かれてもアレなんだが……さっき聞いた話だと今夜親御さんいないんだろ?」
「うん」
「だったら銭湯行くついでに飯もウチで食ってけばいいじゃんって思ったんだ。1人で食う飯は寂しいぞ〜」
それはまあ分かるけど、だからって水瀬さんの家に上がりこんでご飯までご馳走になるわけにはいかないよねぇ。
「でも悪いよ、そんなの」
「平気平気。秋子さんだったら1発おっけーだって。なあ名雪」
「うにゅ?」
まだ唸っていた水瀬さんはいきなり話を振られて状況を理解できなかったのか首を傾げながら妙な声を発した。でも相沢君はそんなの気にする様子もなく、
「ほら名雪も大丈夫だって言ってるぞ。実の娘がこう言ってるんだから問題ないって」
「ねえ祐一、何の話?」
「せっかがウチで飯食ってから一緒に銭湯まで行くって話」
「わ、そうなんだ。それなら大歓迎だよ〜」
「って、いつの間に決定事項になってたの!?」
「あれ、違うの? せっかちゃんも一緒だったら楽しいと思うんだけど」
いやまあ、1人で行くよりはみんなでワイワイやりながらの方がそりゃ楽しいだろうけど、だからってそれだけのためにわざわざご飯まで一緒っていうのはどうだろうと思うよ、わたしは。
「はい決定決定。それじゃ、いざ我が家に向かって出発進行っ」
「りょーかいだよー」
なんて声を上げている妙にノリのいい2人――やっぱり水瀬さんも相沢君の従妹なんだなー、とか思った――に腕をガシッと掴まれて、半ば引きずられるようにしながらわたしは彼らの家に向かうことになった。
……それにしても、いきなりお邪魔してもホントに大丈夫なのかなぁ。
後書き
「何気ない日常の中で」第3話でした。
いやー、ネタが完全に突発的なものになってきてます。
なもんですから、内容に意味を求めてはいけません(何)
根本的なところで「のんびりまったり」があるんで非常に穏やかに物語は進みます。
……ええ、そのおかげで話の進行速度までのんびりしてますが(ぉ
あ、次回はちゃんと銭湯まで行きますよ?
ご意見ご感想、叱咤激励その他「こんなシチュエーション入れてくれ」みたいなのがありましたらこちらまで。
マサ?です。
銭湯です、最近は減ってきました。
私の家の周りでも何箇所か無くなってました。
2回くらいしか行ったこと無いけど楽しかった思い出があります。
雪花はどんな銭湯になるんだろうか。
そしてその前に水瀬家で夕飯を食べることに。
やはり1秒了承を知らないと驚くよなやっぱり。
第4話に期待です!
感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!
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