第14話 緩やかな日常
文化祭が終わってから数日経ったある日のこと。
受験も近付いてきて、先生方もわたしたちを専念させようと思っているのか、だんだん自習になる時間が多くなってきていた。
もちろん先生が教室からいなくなったりするわけじゃなくて、担当の科目で分からないことがあれば質問に答えてくれる。
今日の4時間目もそんな時間。みんな黙ってひたすら参考書とにらめっこ。カリカリと何かを書き付ける音が教室を満たしていた。
でも、そんな中でわたしはちっとも集中できないでいる。ちゃんと机の上には参考書とノートを広げてあるにもかかわらず。
なるべく周りの人には分からないように時計を確認すること……もう何回目になるだろう? 見るたびに刻一刻と迫ってくるこの時間の終わりを意識してしまう。
そんなことをしても仕方ないとは思いながらももう一度時計に目を向けようとしたところで、ちょうど終わりを告げるチャイムが鳴った。
日直の号令で挨拶をして、ざわめきを取り戻した教室。今までの張り詰めていた空気が嘘のようだった。
だけどわたしはただ1人、緊張を残したままでいた。――ううん、もしかしたらそれまでよりもずっと強張っているかもしれない。
「よっ、飯の時間だぞ、せっか」
「ぅひゃぁっ!」
いきなり後ろから肩を叩かれて変な声を出してしまう。
恐る恐る振り返ってみると、そこには凄くビックリした表情を浮かべている相沢君の姿が。
「……な、なんだ相沢君かぁ。ビックリさせないでよ」
「そりゃこっちのセリフだ。それに驚いたのは俺だけじゃないぞ」
「え?」
その言葉に周りを見てみると、すっかりクラス中の注目を集めてしまっていた。
あはは……そんなに大声出してたんだ。何と言うか、穴があったら入りたいです。
でもみんなはすぐに思い思いの方へと視線を戻していったから、いつまでもそんな気分でいなくて済んだ。同時にすっかり気が解れていることにも気付く。
「ほら、ボサッとしてないで早いとこ学食行かないと。場所なくなっちまうぞ」
「そ、そうだね。いつもいつも北川君に場所取りしてもらうのも申し訳ないし」
「いや、それは別に構わないんじゃないか? あいつの場合、俺たちの場所を取るのはついでだろうから」
「あー……そうかも、ね」
彼の言葉に頬を掻きながら同意する。ホント、北川君も頑張ってるよね。
「でもま、せっかの言葉にも一理あるか。名雪たちは先に行っちまったから急いで追いかけようぜ」
「うん。……って、ちょっと待って!」
「ん? どうした?」
「あ、あの、ね……その、これ」
机の横にかけてあったカバンから包みを2つ取り出して相沢君に見せる。
「えっと、えっとね、わたし今日お弁当作ってきたんだ」
「じゃあせっかは無理に学食行く必要ないのか。急かして悪かったな」
「ううん、そうじゃなくて、あ、いやそうなんだけど」
「……何だか分からんがとりあえず落ち着け。ほれ深呼吸」
「あ、うん」
促されるままに息を吸って、思い切り吐く。
……ん、ちょっとは落ち着いたかな。
「んで、弁当ってことは教室で食うんだろ?」
「でもせっかく場所取りしてくれてるんだったら行かないのも悪いし。ほら、お弁当だったら学食でも食べられるから」
「そりゃそうだが、いちいち学食まで行くのも面倒じゃないか?」
「そんなことないよ。それより、その……」
「お、早く行かないと時間なくなっちまうな。よし、行くぞせっか!」
「え、あ、ちょっと相沢君」
言うが早いか、わたしの腕を掴んだかと思うとそのままぐんぐん引っ張っていく相沢君。
「さーて、今日は何を食うか……先に行った3人と同じものを注文するってのは芸人としてよろしくないしな」
……この人は一体いつから芸人になったんだろうか。
「まあ名雪はいつものだろうから置いとくとして……問題は北川と香里か。香里はだいたいランチメニューだからその辺りは回避すればOK。北川は丼ものを選ぶ傾向にあるから……」
「えーっと、あの、相沢君?」
いつもながら、どうしてこの人はこういうことに一生懸命になれるんだろう。ホント、色んな意味で不思議な人だ。
「ん、なんだ? こっちは今取り込み中なんだが」
「その、一生懸命考えてるところ悪いんだけど……これ」
手に持っていた包みの1つを相沢君の前に掲げてみせる。
「これがどうかしたか? せっかの弁当だろ?」
「いや、だからその、お弁当」
「それは分かってるって」
「相沢君の」
「……え?」
その瞬間、彼はピタリと動きを止めた。……そんなにビックリするようなことだったのかな。
「あ、あの、わたしあんまり料理って得意じゃないからおいしくないかもしれないけど」
「俺に、作ってきてくれたのか? マジで?」
「う、うん。だ、だけどね、あんまり出来には期待しないでほしい、かも……」
普段料理なんてしないから自信なんてこれっぽっちもないし、それを証明するかのようにどんどん声が小さくなってしまう。
慣れないことをしたものだから、指先にはいっぱい切り傷作っちゃったけど……でも作ってる間は楽しかったし、これから練習すればいいかなって思えたし。
「けど、いきなりどうしたんだよ弁当作ってくるなんて」
「えっと、ほら、この間お見舞いに来てくれたでしょ? だからそのお礼に、って思って」
「なんだ、それでか。別に気にしなくていいのに」
「そうもいかないよ。……もちろん、嫌だったら受け取ってもらえなくてもいいんだけど」
「いやいやまさか。愛しの彼女が作ってきてくれた弁当を食わないなんて罰当たりなこと、神が許しても秋子さんが許してくれん。米粒1つに至るまでしっかり食させていただきます」
深々と頭を下げる相沢君。周りの人たちが不思議そうな視線を向けてくるからやめてほしいんだけど……
「にしても、見舞いに行ったくらいでここまでしてくれるなんて義理堅いな、せっかは。よく見たら指先傷だらけじゃないか」
「こ、こんなのたいしたことないよ」
何せ、こっちはお見舞いに来てくれて嬉しかったんだから。……まあ、文化祭の次の日に熱出して寝込んだ時は我ながら情けなかったんだけど。
色々と無理をしていたからなのか、それとも単純に疲れからなのかは分からないけど、文化祭が終わった次の日からの2日間、結構な高熱を出して起き上がることすら大変だったんだ。
1日は振り替え休日だったからよかったけど、その次の日は普通に学校もあるわけで。帰りがけに心配してくれた相沢君たちがお見舞いに来てくれたんだよね。
まさか来てくれるなんて思ってなかったからホントにビックリした。お母さんも男の子がお見舞いに来るなんてって驚いてたし。これでその日の晩ご飯がお赤飯じゃなければわたしも笑い話で済ませられたんだけどねぇ。もちろんそんなことは誰にも話せません。からかわれるだけだろうからね。
「でも、そういうことなら全員分作ってこないとマズいんじゃないか?」
「やっぱりそうかな……けど、最後までいてくれたのは相沢君だけだったから」
どういうつもりだったのかは分からないけど、水瀬さんと美坂さん、それに北川君の3人は先に帰っちゃったんだよね。
美坂さんが「ごゆっくり」なんて相沢君に言ってたことを考えると、気を利かせてくれたのかな?
「あ、そういえば風邪うつったりしてない?」
「へーきへーき。健康第一がモットーの俺が風邪ごときにダウンするわけがない」
「ふーん、相沢君の座右の銘って健康第一だったんだ」
「いやすまん、それウソ。まあ、あの家にいる限り健康管理は自動的にできているような気がしないでもない」
「秋子さん?」
「イエス」
確かに、秋子さんだったら常に家族の健康管理をしてそうだ。それにどんなものでもおいしく料理してくれそうだもんね。万が一風邪引いた時でもおいしいご飯を食べられるんだなんてちょっと羨ましいかも。
そんな感じで他愛のない話をしている内に学食に到着。いつもながらの賑わいを見せる中を見回してみると、隅っこの方でこっちに向かって手を振ってる男の子が1人。
「お、あそこだな」
「うん」
相沢君が軽く手を振り返して合図に気付いたことを示してからそっちに向かって移動。
人ごみを掻き分け掻き分け、やっとの思いで辿り着くと、すでにみんなは食事を始めていたみたいだった。
「やっと来たか。って、お前らまだ注文してないのか?」
「ああ。ま、こっちにも色々とわけがあってな」
「は?」
相沢君の言葉に動かしていた箸を止めて不思議そうな表情を浮かべる北川君。
その隣に座っていた美坂さんと彼女の向かいに座っていた水瀬さんも思わず顔を見合わせていた。
そんな3人のことなんか全然気にしてない様子で相沢君は空いていた席に腰を下ろして、わたしのことを手招きする。
やっぱり事情を説明するべきなのかなー、なんて思いながら彼の横に座ると持っていたお弁当の入った包みをテーブルの上に置く。
「……はっはーん」
その瞬間、いきなり美坂さんがそんな声を上げて、思わずビクンッと体を震わせてしまった。そーっと彼女の方に視線を向けてみると、妙にニヤニヤとした笑みを浮かべながら、
「なるほど、そういうこと」
「えっ、えっ?」
1人で先に納得してしまった美坂さんとわたしのことを交互に見比べつつ、水瀬さんが困惑した様子を見せる。北川君は、と言えば……何故かわたしの出した包みに視線を向けたままで硬直していたり。
「え、えーっと……その、ね」
「いいのよ、説明なんてしなくても。それにしても霧崎さんも案外やるわね」
「みみみ美坂さん!? や、やるって何が」
「さて、何かしらね」
クスッと笑ってから何事もなかったかのように食事を再開する美坂さん。何と言いますか、この人には一生勝てないような気がするよ……
「うおーい、せっかー。俺はもう腹減って腹減ってどうにかしてもらいたいんだが」
「あ、うん。ちょっと待ってね」
言われて大急ぎで包みの中からお弁当箱を取り出す。
わたしのは普段から使ってるやつだけど、今日は同じような箱がもう1つ横に並ぶ。
「えと、じゃあこれ。わたしの分と同じくらいだから、相沢君にはちょっと足りないかもしれないけど」
「んなの気にしなくていいって。んじゃ、いただきまーす」
手渡されたお弁当箱のふたを開けた瞬間、相沢君の口から「おおっ」という驚きの声が零れた。
もしかして何か致命的な失敗でもやらかしたかと思って中身を覗いてみたけど、特にグチャグチャになってる様子はなかった。
苦心して作った卵焼きも、冷凍もので申し訳ないなと思いながら詰めたコロッケも、好き嫌いなかったかなって思い出しながら選んだポテトサラダも、朝に作った時と同じ姿のままでいてくれた。
だからそんなに驚くようなことはないと思うんだけど……って、いやそれよりも重要なことがあった。
「あの、どう、かな……あんまり慣れてないから、その」
「……美味いっ!」
「ほ、ホントに?」
「ああ、卵焼きなんか絶妙な味付けだと思うぞ。俺、あんまり甘くない方が好きだからさ」
そう言ってニカッと笑ってくれる相沢君にホッとするわたし。そういえば前に聞いたことがあったっけ、甘いのが苦手だって。
このことは忘れないように、しっかりと心に刻み付けておこうと1人頷く。そして自分のお弁当箱のふたを開けてわたしも食べ始めようとしたところで、
「まあ、愛しい彼女の愛情がたっぷり詰まってるんだから、おいしくないわけがないわよね」
「んぐっ!?」
「わっわっ、大丈夫!?」
突然の美坂さんの言葉に凄い勢いで食べていた相沢君が驚いて喉に詰まらせたみたい。慌てて飲み物を調達してこようと思ったところで、横手からお水の入ったコップを渡される。
「はい、せっかちゃん」
「あ、ありがとう。相沢君、これ飲んで」
水瀬さんが渡してくれたお水で事無きを得たわけですが……どうも最近の美坂さんはわたしたちのことをからかって遊んでる印象が強い。
……いやまあ、だいぶ前からそういう傾向にあったような気がするけど、この頃は特にそんな感じなんだよね。
「か、香里、そういうことは食ってない時に言ってくれよ。死ぬかと思った……」
「あら、彼女のお弁当食べて死ねるんなら本望じゃない?」
「あのな、まだまだこれからって時に死んでたまるかよ」
「わっ、祐一が凄いこと言ってるよ」
「まったくだな……相沢の情熱がビシビシと伝わってくるぜ」
そんなこと言って、口笛鳴らして囃し立ててくる北川君。
なんだかどんどん居た堪れなくなってきたんですけど……凄く落ち着かないよぅ。
「あのなぁ、お前ら……」
「はいはい分かってるわよ。あんまりやりすぎると霧崎さんが参っちゃうっていうんでしょ」
「だったらやるなよ、ったく」
ホントにその通りだと思う。俯いたままゆっくりとご飯を口に運ぶけど、味なんてサッパリ分からない。せっかく相沢君と同じもの食べてるのに……
「……ね、せっかちゃん」
「ふぁい?」
何やらまだ言い合いを続けている相沢君と美坂さんを横目に、水瀬さんが小声で話しかけてきた。
「2人ってもう付き合ってるんだよね?」
「うん、まあ……」
「だったら、どうして祐一のこと『相沢君』って呼んでるの? 名前で呼べばいいのに」
何気ない一言ではあった、と思う。
でも彼女の口からその言葉が飛び出した瞬間、この場にいたわたしたち全員が動きを止めて沈黙した。
思わず相沢君と顔を見合わせてしまう。でもすぐに恥ずかしくなって、わたしはまた俯いてしまって。
「だ、だって、そう呼ぶのに慣れちゃってるし」
「でもせっかくなんだから、もっと親しく呼んだ方がいいと思うよー」
「そうね、名雪の言う通りだわ」
……どうして美坂さんにそう言われると背筋がゾクゾクするんだろう。これが俗に言うシックスセンス?
「んなもん、俺たちの勝手だろう。お前らでもとやかく言われる筋合いはないぞ」
「それはそうだけど……わたしだって祐一って呼んでるのに」
「お前は身内なんだから当たり前だろ。むしろお前が『相沢君』とか呼ぶ方が怖いわ」
「でも、それを言ったらせっかちゃんだって身内ってことになるでしょ?」
「……いや、いきなりそこまでの仲にはなってないと思うんだが」
コクコクと首を縦に振る。
だってそれって、つまり……ねぇ。
そりゃもちろんそうなってくれればわたしとしては嬉しいけど、未来はどうなるか分からないんだから。
「んなことより、さっさと食わないと時間なくなるぞ、名雪」
「え、もうそんな時間?」
そう言って水瀬さんは腕時計に視線を落とす。
チラリと覗き込んでみたら確かにもうあんまり昼休みは残されていなかった。わたしのお弁当もまだ半分くらい残ってるけど、なんだかお腹いっぱいになっちゃったな……
「……ね、相沢君。よかったらこれも食べる?」
「お、いいのか? ずいぶん残ってるみたいだけど」
「うん、なんかもう満腹だから」
「そうか? ……もしかして病み上がりで無理してるんじゃないだろうな」
「そ、そういうわけじゃないよ。ホントにお腹いっぱいで」
「……まあ何でもいいけど、つらかったらちゃんと言えよ」
「うん」
ススッと彼の前に自分のお弁当箱を差し出しながらコクンと頷く。
その答えに満足したのか、相沢君はわたしが残したお弁当の攻略に取り掛かった。
文化祭以来習慣になりつつある相沢君と2人っきりの帰り道。
……習慣って言っても、何日か休んじゃったからそんなに回数重ねたわけじゃないんだけどね。
それでも彼と2人だけでいられる時間が増えるのは嬉しいことだったから、ちょっと恥ずかしいけど我慢できる。
「でも、ホントにいいのかなぁ」
「何がだ?」
「だって、もう受験まで時間もないのに……せっかくみんなで集まって勉強できる環境にあるんだから」
「まあなぁ。けど、せっかはまだ病み上がりなんだし、無理に俺たちのペースに合わせてもらうわけにはいかないってのが香里の意見らしい」
「そんなに心配してくれなくてもいいんだけどな」
もうすっかり体調は回復してるんだし、それにこれからの時期、多少の無理はしないといけないと思う。
元々あんまり勉強ができる方じゃないから頑張らないといけないしね。
「ま、しばらくは個々のペースでしっかりやれってお達しも出てることだし、気は抜けないって。いつ抜き打ちでテストされるか分かったもんじゃないからな、香里の場合」
「確かに……わたしも風邪引いてた分を頑張らなきゃ」
「その意気だ。でもあんま無理して、また風邪引くなよ?」
「分かってます。ちゃんと睡眠時間は確保するよ。……ところで、相沢君」
「ん?」
「その、昼間のこと、なんだけど」
「昼間……?」
何のことだか分からないのか、足を止めて首を傾げる相沢君。
こういう姿を見せられると、気にしてる自分がバカみたいに思えてくるよ……やっぱり相沢君にとってはたいしたことじゃないのかな。
「すまん、ちょっと何のことか分からん」
「はぁ……まあ相沢君のことだから気にしてないとは思ってたけど」
「む、ずいぶんな言われようだな」
「いいけどね、別に。どうせわたしのくだらない悩み事ですから」
「そんな風に言われると余計気になるな。昼間昼間……つーと、やっぱ昼休みだろ? うーん……」
腕を組んで考え込んでる相沢君をよそに、わたしはもう1つため息をついて止めていた足を動かし始める。
そのわたしに置いていかれないように彼もすぐに隣に並んできたけど、まだウンウン唸っているところからして思い出せてはいないみたい。
1人で今日のことを思い出そうとしている相沢君と、その隣でちょっと残念そうにしているわたし。
こんな2人を見たら他人はどんな風に思うんだろう?
「……あー、思い出せん。なんかこう、すぐそこまで出かかってるんだけどなぁ」
言いながら首の辺りに手を当てる。と、次の瞬間彼は何かに気が付いたらしく再び足を止めた。
「あ、もう着いちまったか」
「うん」
しまった、という表情を浮かべながら、相沢君はわたしの家を見上げる。
考え事をしながら歩くには学校から近すぎたね。こんな時は近くに住んでるっていうのもマイナスなのかな、なんて思ってみたりして。
でも、どんなことであれ、わたしのことで悩んでくれるのは嬉しかったな。結果として思い出してもらえなくても、わたしを大切だと思ってくれているってことだもんね。
「えーと、その、なんだ」
「まだ思い出せない?」
「……すまん」
ペコリ、と頭を下げる相沢君。
さすがにそこまでされると、こっちの方が悪いことをしてるような気になってくる。元々そんなにたいしたことでもないんだし……
「そ、そこまでしなくていいよっ」
「だけどさ、せっかがそこまで悩んでるのに思い出せないってのも、なぁ」
「でも、そんなにたいしたことじゃないし……」
「とにかくこのままじゃ俺が落ち着かないから、できれば悩み事ってのを教えてくれ」
う、そこまで真剣な表情をしなくても……思わず後退りしてしまいそう。
「あの、相沢君が考えてるほど大事じゃないよ?」
「構うもんか。1人で悩むくらいなら、せめて俺だけでもそれに巻き込んでくれよ」
凄く真剣にそう言ってくれるのはとっても嬉しい。けど、やっぱりそこまで重大なことってわけでもないから、どうしても気後れしてしまうんだよね。
でも、こういう時の相沢君はちゃんと話すまで納得してくれないだろうし……ああ、これで正直に話したら笑われそうだなぁ。
「え、っと、ね。その……」
「ああ」
「……やっぱり、名前で呼んだ方がいいのかな、って」
「あー……昼休みに名雪が言ってたアレか」
「うん」
ちょっと恥ずかしくなって俯いてしまう。
相沢君からしてみれば、散々ここまで引っ張っておいてこれだもんね。そりゃ落胆のひとつも――
「ま、せっかの好きにすればいいんじゃないか?」
「え?」
「呼び方まで強制することなんてできないさ。……まあ、確かに名前で呼んでくれた方が親しみが篭ってそうで嬉しいかもしれないけど」
見ればわたしからちょっと視線を逸らして、頬を掻きながらそんなことを言ってくれた。
――ああ、この人を好きになって、本当によかった。
そんなことを考えながら、ニッコリとわたしは微笑んで、
「うん、分かった」
しっかりと頷いてみせた。
そのわたしの姿に相沢君も満足したのか、大きく頷いてみせるといつもの笑顔を浮かべて、
「よし。んじゃそろそろ帰るわ。弁当ありがとうな、ホントに美味かった」
「えへへ、ありがと。また今度作ってくね」
「おう、期待してるぜ。じゃあ」
「あ――」
そう言って、片手を上げて帰ろうとする相沢君。
気付いた時には体が勝手に動いていて、彼の腕を掴んで引き寄せていた。
かと思えば、次の瞬間には少しだけ背伸びをして、ちょっと屈むような形になっていた彼の口に自分のそれをピッタリとくっ付いていて。
ちょっとだけ薄目を開けてみたら、珍しく目を白黒させている相沢君の姿が入ってきて、ちょっとだけ勝ち誇った気持ちになった。
まあ、いつも振り回されてるんだから、たまには、ね。
そのまま一体どのくらいの時間が過ぎたのかは分からないくらいにずっとキスをして、ゆっくりと体を離すと彼は苦笑いをしながらわたしの頭を撫でてくれた。
また何か言われるかな、と思ったけど、そのまま「じゃあな」とだけ残して彼は身を翻した。
ゆっくりと遠ざかっていくその背中を眺めながら、わたしは軽く息を吸い込んで、
「うん! また明日ね、祐一くん!」
わたしの気持ちが全部届きますように――そんな思いを込めてその言葉を口にした。
果たしてそれが届いたかどうかは分からないけど、彼はもう一度片手を上げて挨拶してくれた。
表には出してないけど内心で少しは動揺してくれたかな、なんてことを彼の後ろ姿が曲がり角で見えなくなるまでずっと見続けながら考えて。
それから少しだけ気合を入れてから、わたしは家の中へと入っていった。
明日からの毎日を、彼と2人で少しずつ前に向かって進んでいけますように――そう、願いながら。
Fin
後書き
ども、迷宮紫水です。
「何気ない日常の中で」第14話でした。
なんだか物凄く続きそうな感じですが、予定通りこれで最終回です。自分でも中途半端だな、とは思ってるんですが……
もっとも、この14話はこれまでのお話に対しての後日談なので、実質的には13話で完結してると思っていただいてもいいくらいです。
だからまあ、半端な終わり方になってしまっているのを広い目で見ていただけると嬉しいかな、と。
それに今回で最終回となっても彼らの物語は続いていくわけですしね。
とにもかくにも、最後までお読みいただきありがとうございました。
もし何かご意見ご感想、叱咤激励その他「おいおい、これで終わり?」みたいなのがありましたらこちらまで。
つ、つ、ついに最終話です。
もうせっかちゃんと会える事ができないとは寂しいです。
それとこの先の話が気になるぞぉぉぉ〜!って気持ちでもあります。
けど、この先のお話は甘甘になりそうですね。
ぜひ受験にも成功して幸せな生活を送ってもらいです〜
さて、何気ない日常はこの天翔けるツバサができてから初の投稿連載でした。
こんなほのぼのとしたいいお話を書いてくださった迷宮紫水さん、本当にありがとうございました。
感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!
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