何気ない日常の中で
第1話 2人の出会いは雨の日に









 それは、突然の出会いだった。





 その日の昼休み、わたしは学食でご飯を食べ終えて教室に戻るべく階段を上っていた。

 ちょっとばかり悩み事――最近ちょっと体重増えちゃったなとか、そんな些細なことだけど――があったわたしは、その時上から駆け下りてきている人影に気付かなかった。

 と言うか全然周りのことを気にせずにぼんやりと歩いていたみたいで、肩がぶつかった瞬間までその男の子のことが目に入ってなかったみたい。

 だから突然ドンッて肩を押されてしまったわたしは物の見事にバランスを崩してしまった。

 どうやらその男の子はそのことに気付かずに行ってしまったらしく謝罪の1つもなかった。まあそんなことはわたしたちくらいの年代ならよくあることだからいいんだけど。

 ただこの場合問題だったのは、ぶつかった場所が廊下じゃなくて階段の真ん中の辺りだったっていうこと。とっさに手を伸ばして手すりを握ろうとしたけど、その手は面白いくらいに空を切って。

 そんなことを悠長に考えてたわけじゃないけど、我に返った時にはもうわたしの体はどうしようもないくらいに後ろに傾いていた。

「――きゃあっ!」

「おっと」

 思わず悲鳴を上げてしまったその時、不意にそんな声が聞こえて、同時に何かが肩にに触れるのを感じた。かと思うとそれ以上わたしの体はそれ以上落下することなく動きを止める。

 何があったんだろうと知らぬ間に閉じてしまっていた目を開けて状況を把握しようと辺りを見回してみる。するとわたしの後ろで階段の下に顔を向けている1人の男の子の姿があった。

 わたしよりも頭1つ分くらい背が高いのか、わたしの方が1段か2段ほど上にいるのに彼の顔を見ようとするとまだ少し見上げるような形になってしまう。

 そしてどこかで見たことある顔だな、と思ったのとほぼ同時にその男の子が口を開いた。

「ったく、何考えてんだ? 走るんなら目の前にいるやつをよけるくらいのことはしてみせろってんだよ」

 なんて彼が毒づくのを聞きながら、わたしは両肩を支えるように触れている彼の手に気付いて何となく赤面。

 それと同時に彼が助けてくれたってことを思い出して、お礼を言わなきゃと彼の方に顔を向けて、

「あ、あの」

「ん? ああ、大丈夫か?」

「は、はい。その、ありがとうございました」

「気にすんな。まあ君も何だかボーッとして歩いてたみたいだし、これからは気を付けろよ?」

 苦笑混じりにそう言いながら彼はわたしのことをその場にしっかりと立たせると、

「それじゃあ俺はもう行くけど、ホントにケガとかしてないよな?」

「えっと、大丈夫だと思います」

「そか。んじゃま、そういうことで」

 ヒラヒラと手を振りながらそう言い残して階段を上っていく彼の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、何故か体が熱くなっていくのを感じていた。

 そして同時に彼が誰なのか、ということが頭の中に浮かび上がる。

「――相沢、祐一君」

 確か隣のクラスの転校生。それ以外には別段気になるような噂を耳にしたことは……

「あ、そういえば」

 水瀬さんと従兄妹で、その縁もあって彼女の家に居候してるって話が彼が転校してきた頃にあったっけ。事実2人が遅刻ギリギリで駆け込んできてるのを教室の窓から何度か見たことがあるし。

 彼女の遅刻癖は有名だからね。相沢君も大変そうだ。

「まあでも、わたしには関係ないことか」

 ポリポリと頬を掻いてからすっかり階段で立ち尽くしてしまっていることに気付いて、わたしは慌てて教室まで戻った。

 そのまま自分の席に着いたところでチャイムが鳴るのを聞きながら、もう彼と話すこともないかな、なんて思った瞬間、何とも言えない寂しさが心に広がったのが何だか不思議だった。



★        ★        ★


 目の前の光景に、思わず途方に暮れてしまう。

「……しまったなぁ」

 よりによって傘を持ってきてない時に、それもこの時期にしては珍しく雨が降るなんて。今朝の天気予報だとそんなに降水確率高くなかったはずなんだけど。

「どーしよ。置き傘もしてないし……」

 夕立みたいにすぐ止みそうな感じじゃなし。これだったらひどくなる前に走って帰るのが一番いいかな?

 だけどそんなことしたら風邪引いちゃうかな……さすがに冷たいだろうし。でも弱くなるかもって思って待ってる間にひどくなってきたら笑えないもんねぇ。

 そんな感じで、よしっ、と腹を括って雨の中に足を踏み出そうとした時。

「あれ、昼休みに会った子じゃん」

「へ?」

 後ろから聞こえてきた声に――何だか軽い既視感デジャ・ヴュ――思わず振り向く。

 するとそこには、間違いなく昼休みに出会った彼、相沢君の姿があった。

「あ、その節はどうも」

「だから気にすんなって。あんな状況になってたら助けない方がどうかしてる。……んで、何か困ってたみたいだけどどうかしたのか?」

「え、あ、たいしたことじゃないんですけど」

「そう? まあ何で困ってるのかってのは何となく分かるけど」

 言いながら相沢君はわたしから視線をずらして降りしきる雨を見やる。

 その手にはしっかりと傘を持っている辺り結構用心深い人なんだろうか、なんて考えたり。

「まさか雨が降るとは思わなかったからなぁ。朝もあんなに晴れてたし」

「そ、そうですね。やっぱり折りたたみ傘はいっつも持ってた方がいいのかな」

 彼の隣で雨を見上げながらそんなことを思う。と、そこで不意に疑問が湧きあがってきた。

 何で傘を持ってるのにそんな風に言うんだろう。てゆーか、そもそもこんな状況だったら折りたたみ傘を持ってるのが普通じゃないのかな。

 そんな他愛のない疑問も次の相沢君の呟きで解決することになるんだけど。

「たまたま置き傘してたからいいようなものを……この雨じゃ傘持ってきてないやつは大変だろうなぁ」

 なるほどそういうことか、なんて納得しちゃったりするわけで。

 よくよく考えてみたら相沢君は水瀬さんと一緒に毎朝ギリギリに駆け込んできてるんだから、朝はそんなところまで気が回らないかもしれないしね。

「とまあそういうわけで、もしよかったら送っていくけど?」

「……え?」

 突然の申し出に頭が真っ白になってしまい、何とも間抜けな反応をしてしまう。

 何を言われたのかを理解するまでに少しの時間を必要としてしまい、だけど相沢君は特に何も言わずにわたしのことをジッと見ているだけだった。

「あの、送っていくって誰をですか?」

「おいおい、それ素で言ってる? この状況で君以外の誰を送っていくってんだよ」

 相当にすっ呆けたことを口にしてしまったわたしに苦笑しながら相沢君が答える。いや、確かにわたしだってそんなこと訊かなくても分かってるはずなんだけど……

「って、そんなわざわざ悪いですよ!」

「ま、そう言わずに。それとも滅茶苦茶遠かったりするのか? それだったらさすがに考え直すかもしれないけど」

「ウチは学校から5分くらいのところですけど……」

「それなら問題ないな。……しっかしうらやましいなー、そんなに学校に近いの」

 何やら本気でうらやましがってるっぽい相沢君。やっぱり朝から全力ダッシュは辛いみたいだ。

「そうですね、毎朝走ってるの教室から見えてますし」

「うーん、さすがに目立つか……って、そうだ」

「はい?」

 わたしの方に向き直ると相沢君は真剣な眼差しでわたしの顔を覗き込んでくる。その表情に思わず息を呑んでしまった。

「あのさ、君も2年だよな? 制服のリボン赤だし」

「え、ええ」

「だったらそのしゃべり方やめない? もっとくだけた話し方でいいよ。その方が俺も気が楽だしさ」

 それはそうかもしれない。わたしだって同い年の人から丁寧な口調で話されるのはあんまり好きじゃないし。

「うん、それじゃあ普通に話すことにするね相沢君」

「そうしてくれ。……って、俺のこと知ってるのか?」

 あ、そういえばまだ自己紹介はしてないんだっけ。ついつい昔からの知り合いのような感じになっちゃってたな。

「だって相沢君って有名人だよ? 『午前8時30分の男』とかって」

「誰だよそんな風に呼んでんのは……」

「同級生なら大体知ってるんじゃないかな。ほら水瀬さんが遅刻ギリギリで来るのってかなり知れ渡ってるし、それに付き合ってたらね」

「なるほどな……くそ、俺は平穏な学校生活を送りたいってのに」

 ガックリと肩を落としながら呟く相沢君を見ていたら思わず笑い声が零れてしまった。それが聞こえたのか余計にションボリとしてしまう相沢君。

「ああ、何だって今日初めて会った人にまで笑われなきゃならんのだ俺は」

「ゴメンね。つい我慢できなくなっちゃって」

「別にいいけどさ……ところでそっちの名前は教えてくれないのか? 俺のことは言わなくても分かってるみたいだけどさ」

 あ、すっかり忘れてた。

「えっと、わたし霧崎きりざき雪花ゆきかって言います。友達はみんな『せっか』って呼ぶけど」

「つまり『雪』の『花』って書くんだな。了解」

 コクコク頷いて相沢君は手にしていた傘を開いてから、

「それじゃ行こうか、せっか」

「え、どこに?」

「お前ん家だよ。さっき送ってくって言ったろ?」

 ……そういえばそんな話もしてたような気がする。てゆーか普通に「せっか」って呼ばれてるし。

 別に嫌な気分にはならないけど……少し話したら友達だって思う人なのかな?

「でもでも、やっぱり悪いし」

「何遠慮してんだよ。せっかの家ってこっから近いんだろ? じゃあ問題なしだ」

「だけど、水瀬さんはいいの?」

「ああ、あいつだったら陸上部のミーティングだってさ。まあ確かに部活が休みの時は一緒に帰ってるけどな。……にしても、何でそんなに断ろうとしてるんだ? そんなに俺と一緒に帰るのが嫌なのかね」

「えとあの、別にそういうわけじゃないんだけど……水瀬さんに悪いかなーって」

「名雪に? 何で」

「だって2人って付き合ってるんでしょ?」

 そうとしか思えないくらいに親密だっていう話を昔からの知り合いで、今は彼のクラスメートだって子から聞いたことあるし。

 まあ女のわたしから見ても水瀬さんは凄くキレイと言うか可愛いと言うか。それにどこかボーッとしてるところがまたイイっていう男子も結構いるみたいだから相沢君が彼女のことを大切に思うのも分からなくはないかな、なんてね。

「……俺と名雪ってそんな風に見られてるのか?」

「そうだけど……違うの?」

 別にわたしがその現場を目撃したわけじゃないから絶対にそうだとは言い切れないんだけど。

「全然違うって。あいつは従兄妹だからそんな風に見えてるだけだろ。血縁者ってのは他に比べて親身になりやすいし」

「あ、そーなんだ」

「そーなんです。さて、疑問も解決したところでそろそろ行くぞ」

「わわっ、待ってよ相沢君!」

 いきなり手を掴まれて傘に入るようにグイッと引き寄せられて、わたしは慌ててその場に踏み止まろうとする。けど相沢君の引っ張る力の方が強かったみたいで結局は傘に入っちゃったわけなんだけど。

「何だよ、まだ何かあるのか?」

「えとえと、その……」

「……言いたいことはハッキリ言った方がスッキリするぞ?」

 うう〜、だけどね、まだ会って時間もあんまり経ってないのにその……相合傘なんて勘弁してほしいんだけど。

 もしそんなことしてるのを知り合いに見られたら、って思っただけで物凄い恥ずかしいし。

 だけどこんなこと面と向かって相沢君に言えない。だって親切でそう提案してくれてるんだからね。

「まあ何をそんなに困惑してるのかは知らないけどさ。もし嫌だってんならこの傘ここに置いてくから好きに使ってくれればいい」

「え? でもそしたら相沢君はどうするの?」

「正直濡れるのは嫌だけどな、これくらいの雨だったらウチに着くまでなら耐えられるさ」

「そんな! それだったらわたしが走って帰るよ。学校からそんなに離れてもないから」

「女の子をそんな目に遭わせたくねーからこんなこと言ってるんじゃないか。さ、どうする?」

 うう……何でそんな二者択一を迫られなきゃいけないわけ?

「自分を人質にするのは反則だと思う……」

「はっはっは。こうでもしないと答えが出そうになかったからな、仕方ないんだ」

 どこがだー! って思い切り叫んでやりたくなった。

 少ししか話をしたわけじゃないのに、この相沢祐一っていう男の子はつくづく変わった考えを持っているのがよーく分かった。

 だって今日初めて会った人にこんな風にはなかなか振舞えないと思うよ? ある意味尊敬に値する人かもしれない……

「はぁ……分かりました、それじゃあお手数ですけど送ってもらえるかな?」

「はいはい、了解しましたよお姫様。じゃあ道案内頼むな」

 妙に晴れやかな笑顔を見せながら何事もなかったかのようにそんなことを言ってくる相沢君に、わたしはただ頷くことしかできなかった。





 パラパラと雨が傘に当たる音を聞きながら、わたしは相沢君と並んで歩く。

 昇降口を出たところから、わたしがどっちに進むのかということを教える時以外は全く会話がない。だから余計に居心地が悪くなってしまうわけで。

「……あ、あの相沢君」

「ん?」

「わたしの家ここだから……」

 1軒の家を指差しながら俯きがちにそう伝える。相沢君は1つ頷くと進行方向をそっちに直して足を進める。

「あ、えーと、ありがとね。わざわざ送ってもらっちゃって」

「気にすんなって。さすがに雨の中に飛び出そうとしてるのを見たら、な」

 それでもやっぱり凄い人だと思う。普通だったら初対面の人にここまではできないだろうし。

「それでその、よかったら上がっていく? お茶くらいなら出せると思うけど」

「んー……いや、やめとくよ。別にそういうのが目的じゃなかったしな」

 いやまあ、それはそうだろうけど。この人の場合、そういう打算とかを抜きにしてやってそうだし。

「……ま、どーしても借りを返したいってんなら何か俺が困ってる時にでも力を貸してくれればそれでいいさ」

「うん、分かった。それじゃあね相沢君」

「おう、またなせっか」

 そう言って軽く手を上げて、相沢君は傘を片手に雨の中を歩いていってしまった。

「……またな、か」

 それはつまり、またいつか会うということ。

 彼からしてみれば何とはなしに――それこそ友達にするみたいにした挨拶かもしれなかったけど、何故だかそれが妙に嬉しく感じたのも事実で。

 もう少しだけ彼と親しくなれたら楽しいかもな、なんて思ったある雨の1日。






後書き

「何気ない日常の中で」連載仕様第1話でした。
とは言っても多少の誤字脱字を直したり、細かい表現を修正したりした程度なんですけどね。
それと一応設定は誰のフラグも立てることなくエンディングを迎えた後日の話ってことでよろしくです。
もしかしたら祐一の知らないところで奇跡が起きまくってたりするかもしれませんが……
や、今後他のヒロインが関わってくる可能性を考慮すると、そんな風に考えておいた方がいいかなと思っただけなんですが。

いや、ホントに今のところはせいぜい出ても名雪と香里くらいなもんだと思ってます。
どうなるかは分かったもんじゃないですが(ぇ

ご意見ご感想、叱咤激励その他「こんなシチュエーション入れてくれ」みたいなのがありましたら
こちらまで。


マサ?です。

オリキャラの霧崎雪花ちゃんが可愛いです。

タイトルのように何気ない雨降りの話でここまで書けるのが羨ましいです。

私ならこうはいかないです。

 

感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!

 

第2話

 

戻る

SEO [PR] !uO z[y[WJ Cu