「美汐…ごめんなさい」

 私は美汐が大切にしていた皿を割ってしまった。

 このごろ、体が思い通りに動くことを拒み始めてきた。

「いいんですよ。それより怪我はありませんか?」 

 うなずく私。

「そう、それは何よりです」

「でも…」

 私がそう言うと、美汐が近づいてきて頭をなでてくれた。

「お皿はまた買えばすみますよ。それに、形あるものは、いつかは壊れて消えゆきます」

 だから怒ってませんよ、優しく微笑みながらそう言う美汐。

 私は、美汐が笑っているときの顔が大好きだった。

 美汐が怒ってないと知って嬉しくなり、私は言った。

「じゃあ、私が消えても、美汐のそばにずっといるね」 

 そう…それは本当に何気なく言った言葉だった。

 だけど……。

「…美汐?」

 美汐は何も答えず、急に私を抱きしめた。

「どうしたの、美汐?」

 返事は返ってこない。

 ただ、肩に冷たいものが落ちてくるのを感じた…。

 美汐は私を離さなかった。

 そのときは、何が起こっているのかまったくわからなかった。

 美汐自身も、自分がなぜこんなことをしたのか、わからなかっただろう。

 もしかしたら美汐は、何か…言いようのない不安を感じていたのかもしれない。

「ねぇ…本、読んであげましょうか?」 

 しばらくしてから美汐が、私を離しながら声をかけてきた。

「うんっ!」

 私は元気よく返事した。

「そんなに本が好きなの?」

 優しく語りかけてくる美汐。

「美汐が好きなものは、私も好きだよ」

「そう…だったら、一緒に図書館に行きましょうか」

「としょかん?」

 聞きなれない言葉に首をかしげる私。

「あのね、そこには本がたくさんあるの。私も学校のだけど、よくそこで本を読んでるのよ」

「へぇ〜、面白そう…。行きたいな、美汐のよくいる、としょかん」

「それじゃあ今日はもう遅いですし、明日連れて行ってあげますね」

「うん! 約束だよ」

「ええ、約束します」




 そして次の日…


 私は熱を出して倒れた……。

 








   私の…願いは……










 澄み切った空気に朝日が差し込んでくる。

 その中で私は目を覚ます。

 …夢…とても悲しい夢を見ていた気がした。

 だけど、それが何だったのか思い出すことができなかった…。

 私がそれについて考えていると、朝のチャイムが鳴り響いた。

 校舎が生徒たちの活気で満ち溢れてくる。

 そして、いつもと何も変わらない1日が始まる。

 










「名雪のせいだぞ、間に合わなかったのは。もう少し早く起きようとは思わないのか?」

「ごめんね、祐一。努力はしてるんだけど…。でも良かったよ、今日の1時間目が図書館で自習なんだからね」

「入ったら教室に誰もいなくて驚いたけどな。香里の書いてくれたメモがなかったら、

 俺たちどこに行けばいいかわからなかったな」

「あとで香里にお礼言わないとね」

 1時間目の初め、その声と共に不意に誰かが図書館に入ってきた。

「さっさとこのプリント終わらせてしまおうぜ」

「そうだね、でもみんなはあっちに行ったみたいだよ」

「まぁこっちにはもう資料がないからな。でもいいんだよ、それで。俺にはこっちに来る目的があるからな」

「目的?」

 不思議そうに尋ねる名雪。

「こっちにはたぶん香里がいるからな、教えてもらおうと思ったんだよ」

「あたしがここにいるってよくわかったわね、相沢君」

 さっきからここにいた香里が、入ってきた2人に声をかけた。

「あ、香里、おはよう〜」

「おはよう、香里。というかおまえがこっちにいるってメモに書いといたくせによく言うよ」

「おはよう、2人とも。どうやら今日は完全に遅刻したようね」

「聞いてくれよ、香里。名雪のやつ、昨日あれほど早く寝たのにこのありさまなんだぜ」

「あ、ちがうよ祐一。いつもよりは早かったけど、昨日は特に部活で疲れてたから起きれなかっただけだよ」

「全然ちがわない。寝坊したことに変わりはないだろ」

「う〜祐一のいじわる」

「はいはい、2人の仲がいいのはわかったから、早くプリント仕上げてしまいましょ」

 2人のやりとりに苦笑しながら香里が会話を遮った。

「そうだね、そうしようよ、祐一」

 祐一はまだ何か愚痴をこぼしていたが、しぶしぶ香里の提案にしたがった。



 しばらくしてプリントが終わったのか、祐一たちは雑談をしている。

 私は楽しかった。彼らが愉快に笑いながら話しているのを見ていることが好きだった。



「そろそろ戻るか」

 話が一区切りついたところで祐一が言った。

「そうね、そうしましょうか」

「ねぇ、次は何の授業だったか覚えてる?」

 そう話しながら祐一たちは図書館から出て行った。













 午前の授業が終わり、学食へと足を運ぶ生徒が増すなか、彼女はここにいた。

 彼女は1人本を読んでいる。そのときここは静寂に包まれていた。

 しかし、それはすぐに終わりを告げることになった。

「あー! やっぱりここにいたんだ、美汐!」

 ドタバタと走りながら1人の生徒が入ってきた。

「真琴、図書館で走り回っては駄目ですよ」

「あぅ〜、ごめんなさい…でも美汐と一緒にご飯食べたかったから…」

 そう言ってしょんぼりとする真琴。

「それじゃあ真琴、今日はここで一緒に食べましょうか?」

 美汐が真琴を励ますように言った。

「え…でもいいの?」

「本当は良くありませんよ。でも、2人だけの秘密に真琴ができるなら話は別ですよ」

 そう言って真琴に向かって微笑みかける美汐。

「秘密にできるよ!」

 真琴はとても嬉しそうだった。

「ならお弁当を取りに行きましょうか」

「うん!」

 そのあと2人はしばらくして戻ってくると、仲良く昼食を取り始めた。

 私は楽しかった。彼女たちが仲良く昼休みを過ごしているのを見ていることが好きだった。













 午後の授業も終わり、みんなが待ち望んでいた放課後になった。

 帰宅途中の生徒たちの喧騒もここまでは聞こえてこない。私はそれが少し寂しかった。

 しばらくすると、1人の生徒がやって来た。

「お姉ちゃん、一緒に帰らない?」

 そう声をかけられると、少し前から来ていた香里が返事をした。

「ごめん、栞。もうすぐ終わるから少し待っててくれる?」

「うん、いいよ。それにしてもお姉ちゃん、ここで勉強するの好きだね」

「静かだからはかどるのよ。それもこの図書館が校舎から少し離れた別館になっているおかげね」

 香里たちがそんな会話をしてると、またここのドアが開いた。

「お、頑張ってるな、香里」

「お疲れ様、香里さん」

 そこには祐一と、もう1人は…。

「どうしたの、相沢君? それにあゆちゃんも」

 それは、真琴と一緒に最近編入してきた子だった。

「いやな、あゆがまだこの図書館を見たことがないって言ったから、最後に見せてやろうと思ったんだよ」

「へぇ〜こっちはこんな感じなんだ……」

 周りを見渡しながら感心しているあゆ。

「ところで栞はどうしたんだ?」

「私はお姉ちゃんを待ってるんですよ」

「あいかわらず仲が良いな。あ、そういえば栞、名雪を見なかったか? 

 今日は部活がないから一緒に帰ろう、って言ってたんだが」

「名雪なら、さっき部室に寄っていったみたいよ」

 栞の代わりに香里が答えた。

「なんだ、そうなのか。それならそうと」

「あ、祐一〜、お待たせ〜」 

 祐一の言葉を遮って、名雪がここに入ってきた。その横には真琴と美汐もいた。

「名雪、部室に寄るなら寄るで、俺に言えよな」

 不満そうに文句を言う祐一。

「ごめんね、急いでたんだよ」

 名雪が申し訳なさそうに謝った。

「ところで真琴と天野はどうしたんだ?」

「2人はわたしが祐一を探してるって言ったら、手伝ってくれたんだよ」

「祐一、手伝ったんだから後で肉まん買ってね」

「どうしてそれを俺に言うんだ」



 彼らはそれからみんなで談笑している。

 彼らの声が、ここを暖かさで満たしてくれる。

 私は嬉しかった。この中に自分がいられることが何よりも嬉しかった。







「あ、そうだ。なぁみんな、記念に名前でもここに残していかないか?」

 祐一が突然そう提案した。

「どういうことですか?」

 小首をかしげながら質問する栞。

「いや、深い意味はないんだが、最後ぐらいしてもいいかと思っただけだよ」

 そう言って祐一は近くの柱に自分の名前をペンで書こうとした。

「あっ、祐一、これ見てよ」

 名雪が何かを見つけたらしく、柱の一箇所を指差しながら言った。

「ん? これは…名前か?…ってこれ、佐祐理さんと舞じゃないか!」

「そういえば、昨日の放課後に私が来るのと入れ違いに、2人がここから出て来るのを見たわよ」

 勉強が終わったらしく、香里が筆記用具をしまいながら伝えた。

「そうか…佐祐理さんたちもこの図書室のこと、どこかで聞いたんだな」

 祐一が誰に言うでもなくつぶやく。

「よし、俺も」

 そう言うと、祐一は2人の名前の横に自分の名前を書きだした。

「ボクも書くよ」

「真琴もする〜」

 そしてそれをきっかけに、みんなも名前を書いていった。

 全員が書き終わると、祐一の名前はみんなの名前に囲まれて窮屈そうだった。

「なんか俺のこれからを暗示してるような気が……」

 祐一がそう言ったのを、私以外は誰も知らない。








「さてと、それじゃあ今から百花屋でも行くか」

 そう言ってみんなに呼びかける祐一。

「当然相沢さんのおごりですよね」

「え、それならわたし、た〜くさんイチゴサンデー食べたいな」

「これだけいればジャンボミックスパフェデラックスも食べれそうですね」

 美汐の言葉をきっかけに、名雪と栞が思い思いの食べ物を口に出す。

「ボクたい焼き〜」

「肉まん〜」

「あたしはコーヒーだけでいいから」 

 そして続くようにあゆ、真琴、香里も言った。

「……はぁ、わかったよ。ただし、1人1つだけだぞ」

 祐一が財布の中身を見ながら、泣く泣く了承した。

「あ、あと倉田さんと川澄さんも呼ばないとね」

 さらに追い討ちをかける名雪。

「……さらば、俺の欲しかった物たちよ」

 祐一が立ち止まって嘆いている。

「祐一君、先行ってるよ」

 あゆが祐一に声をかけ、先に行ったみんなのところに走っていった。

「…お金、足りそうにないな」

 そうつぶやきながら、仲良く話している彼女たちを見ている祐一。しばらくして…

「…まぁいいか」

 祐一は微笑みながらみんなを追いかけた。







 みんながそろって図書館を出て行った。

 そして、ここにまた静寂が戻ってきた。

 ただ、それは決して寂しさを醸し出さない。

 私は、彼らの温もりを感じることができた。

 そして…今日という1日がもうすぐ終わる…。









「楽しそうですね、みなさん」 

 いつの間にか、1人の女性が、たおやかにイスに腰かけていた。  

 私には、なぜだかわからなかったが、それが誰だか一目見てわかった。

「今の彼らがあるのも、あなたのおかげですよ」

 そう言った私の言葉に彼女は首を横に振る。 

「私は、彼らの道を照らしただけに過ぎません。歩んだのは、彼ら自身です。 

 そして、彼らの足元を照らしたのは、彼ら全員です。 

 …だから、もしあなたが彼らと……いえ、過ぎたことを言うべきではありませんね」 

 失言だったかと思い、彼女は少し暗い顔をした。

「あなたが…私をここに?」

「………」 

 何かを考えているようで返事をしない彼女。

「どうして…ここなのですか?」

 答えが返ってくるとは思わない。しかし、聞かずにいられなかった。

「……悲しみに…染まっていないから…」

 彼女は、ぽつりとつぶやいた。

「…よく…わかりません」

 正直な私の気持ちだった。彼女は何を言いたいのだろうか…。 

「…あなたはもう、答えを見つけているはずですよ」

「えっ…」 

 私がここにいた理由…。

 私はゆっくりと目を閉じて考える。

 そうすると、1人の少女の顔が脳裏に浮かぶ…。

 ……美汐……。

 それは美汐の顔だった。

 だけど…その顔は……泣いていた…。

 別れ際…彼女は決して笑いかけてはくれなかった。

 だから私は……。

「…答えは…簡単でしたね」

 そう言うと、彼女は微笑みかけてくれた。

 そう……ここでよく本を読んでいると聞かされていた…。

 そして、今度一緒にここへ来ようと約束していた…。

 ただ…それだけ…。

 美汐に会うため…。

 もう一度、美汐の…

 笑顔を見るために…

 私は…ここに……。

「…彼らのこと…お願いします」

 この言葉は、本当は言いたくなかった。言葉にしてしまうと、

 これからの自分を否定してしまうから恐かった。 

 だけど…今ならもう、ためらいはしない。

 約束は…すでに…果たされていたのだから…。

「…見守ることしかできませんが、お引き受けします」

 彼女はすべてを見透かしたように、自分の望む返事を返してくれた。 

「…最後に…あなたの願いを言ってくれませんか?」

 今のあなたになら、1つだけですがかなえてあげられます、彼女は言葉を続けた。

「私の願い……そんなの決まってますよ。彼らの…幸せですよ」

 今の自分にはそれ以外のことは考えつかない。

 いや、例えじっくり考えてもこの答えが変わることはないだろう。

「どうして……どうしてあなたはそこまで彼らの…美汐のことを…」

 果たしてそれが、本当に答えを知らなくて尋ねているのかどうか私にはわからない。

 だけど、そんなことは関係ない。だって、答えは最初から決まっていたのだから。

「…美汐が私に大切なことを…温もりを教えてくれた…。

 短かったけど…人間になって、一緒に笑いあえることができた…。

 私は、そんな美汐が大好きだった…。

 だから…これからもずっと美汐には笑っていてほしい…。

 そして…みんなでいることの暖かさを…美汐に教えてくれたから…

 美汐のそばにいてくれるみんなにも笑っていてほしい…。

 …これが…私の……願い……」

 私の答えを聞いて、優しい笑みを浮かべている彼女。

「わがまま…ですけどね」

「そんなことはありませんよ」

 彼女はすべてを包み込むかのように言った。

「大丈夫です。それなら心配いりませんよ」

 私は…その一言が聞けただけで十分だった。

 それ以上は…何も望まない。

「そろそろ…眠りますね」

「…おやすみなさい……今度は良い夢を……見られるといいですね」

 そう言って彼女…天使は、消えるように天へと帰って行った……。









 そして私は眠る……。

 これが最後の眠りだと知りながら……。

 彼らが刻んでくれた温もりと共に……。

 彼らの…思い出と共に……。

 …ありがとう、……バイバイ、みんな……バイバイ…美汐…。
























「工事、意外に早く終わりましたね、相沢さん」

「まあな。俺たちが最後に行ったときには新しい図書館も完成してたし、

 次の日からは取り壊しが始まったからな」

「ですが取り壊すなんて…拡張だけでは駄目だったんでしょうか?」

「拡張するならいっそ新しいのを、って生徒会の要請だそうだ」

「そうだったんですか。…もう図書館が建っていた場所には何もありませんね」

「そうだな」

「…形あるものは、いつかは壊れて消えゆく…」

「………」

「…面影も…残らないんですね。…なんだか物悲しいです」

「…それはちがうぞ、天野」

「え…どういうことですか?」

「面影は……自分の思い出の中に残しておくものだ」

「相沢さん…何か悪いものでも食べられたのですか?」

「どうしてそうなるんだ!」

「ですが相沢さんがそんなことをおっしゃるなんて…」

「もういい。
…せっかく人が心配してやったっていうのに」

「何か言いました?」

「なんでもない。それより、早く行かないとみんな百花屋で待ってるんだろ?」

「ええ、そうですが…」

「じゃあさっさと行くぞ」

「相沢さん……」

「なんだ?」

「ありがとうございます、心配してくれてたんですね」

「…まあな」

「相沢さん……あなたの思い出の中に……私や…みなさんは残るでしょうか?」

「…さあな、そんなこと今はわからないな」

「……そうですよね」

「でもな」

「えっ?」

「それを取ったら、俺に思い出なんて残らないと思うぞ」

「相沢さん……そうですね、私も同じですよ」

「祐一く〜ん、美汐ちゃ〜ん、遅いよっ! みんな待ちくたびれてるよ」

「お、あゆじゃないか。よし、天野、あゆの所まで競争だ」

「えっ、走り出してから言わないでくださいよ」

「残念だな、勝負の世界は厳しいものなんだ」

「もう…でも、負けませんからね、相沢さん」





 そのときの美汐は…





 願いどおりの…





 いや…





 それ以上に…





 満面の…





 笑みだった…














                 Fin        














あとがき

 改めまして、初めまして。若輩者の無月下と申します。 

 今回送らせてもらったSSはややこしい話になってしまいました。

 原因は単純明快です。自分の技量不足に尽きます。申し訳ないです。

 読んでくださりありがとうございました。

 これからも精進していきたいと思いますので、よろしくお願いします。





マサUです。

無月下さんからSSを頂きました。感謝です!

不思議な雰囲気を醸し出してるのがいいですね〜

それに最後の美汐の笑顔がいいです!

素敵な作品をありがとうございました。

 

感想などは作者さんの元気の源です是非メールを!

無月下さんのメールはこちらです。

 

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